【問題】
7人の男性のうち、3人が見張り、4人が住居侵入を行った。住宅からは、A~Dの4種類の靴痕が発見された。7人のうちの1名である被告人は、A靴と同種・同サイズの靴を履いていた。被告人は侵入犯と言えるか。
(前提条件)
1.残り3名の靴は不明である。
2.A靴は量販品であり、サイズも通常程度(27センチ前後)である。
【模範解答】
A靴は際だった特徴がないので、残り3名の中にA靴と同種・同サイズの靴を履いていた人物がいる可能性が残る以上、侵入犯とは断定できない。
【某日の裁判所の出した解答(要旨)】
特段の事情がない限り、被告人は侵入犯と推認できる。
【感想】
某裁判所の名誉のために述べておくと、裁判所は、被告人は侵入犯と言えるかという命題について、いの一番に上記解答の通り述べた上で、見張りに過ぎないと主張する被告人の主張内容の不合理性も加味して、侵入犯と断じてはいる。靴痕一本槍ではない。
しかし、それにしても、である。特段の事情がない限り推認できるとして、足跡痕を事実認定の柱に据える感覚は、全く理解できない。常識に照らしてほぼ間違いなし、という水準の証明が要求されるならば、際だった特徴のないA靴を他にも履いている人がいるという可能性に思いを致せば、そのような水準には達し得ないだろう。
裁判所の心証形成について書かれた文献を読んでいると、大ざっぱに要約すれば、「証拠を積み上げて結論を得ていく方法」よりは「直感的に結論を得た上で、証拠がその結論を支持するか検証する方法」の方が普通だと言われている。これが正しいとした場合、上記某裁判所は、直感的に侵入犯との結論を得た上で、靴痕のことがあるから、その結論は概ね間違いなし、という検証をした、と言うことになるのだろう。しかし、このように大甘な検証しかしないのなら、証拠裁判主義ではなく、結論先にありきの裁判との誹りを免れまい。頭から決めつけているから、都合の良い方向には査定が甘く、都合の悪い主張や事実関係は無視する、というわけである。しからば、検証作業の査定を自ら厳しく律し得ない人には、裁判官の資質がないと言うことになる(他方、限りなき自律を日々、行い、事実認定に向き合っておられる裁判官には、大いに敬意を払わなければならない)。
この件では、判決内容は終始こんな感じであり、被告人も溜まりかねたようで、退廷する裁判官に「おまえ裁判官やめろ」と罵声を浴びせていた。
法廷で直情的な罵声を浴びせることは感心しないが、まことに共感できる叫びだった、というのが、傍らで判決内容を聞いていた私の偽らざる心境である。
(弁護士 金岡)