本欄本年5月29日付け、31日付けで掲載した山田論文批判は、幸い、それなりに読まれたようである(といっても刑事弁護を日常的に丁寧に行っている層には当然すぎることしか書かれていないが)。
さて、同論文で言及された「公判前円滑化チーム」に参加されていた鬼頭治雄弁護士が、山田論文に対する意見を公表されたので、ここに紹介しておきたい。
https://www.kt-law.jp/wp/13508/c-essay/c-essay-keiji/
鬼頭弁護士は、言うまでもなく名古屋を代表する刑事弁護士である。
そのお立場からも、やはり山田論文は刑事弁護に対する無理解が酷すぎる趣旨に整理して指摘されている(特に4項)。曰く、「弁護人の仕事は、決して被告人の不確かな記憶に基づく言い分を垂れ流すことではない(ということが正しく理解されていないのではないか)。」、「証拠開示が弁護活動の反対尋問にとってどれだけ重要かについての無理解」等々である。
興味深いのは、望ましくない整理手続の長期化を、(山田論文のように、手抜き弁護を推奨し、被告人の犠牲の上に成立させるのでは無く、)どのように回避するかの処方箋である。
鬼頭論文5項では、①判事検事の大幅増員、②弁護人の専門化、③法曹一元的に裁判官が弁護の性質に対する理解を深めること、が掲げられ、更に3項で、④整理手続における整理に過剰な期待を抱かず、生き物である裁判の性質に委ねる方が良い、ということが指摘されている。
①について、判事の不足は、山田論文を整理手続全般の在り方の見地から批判した私の整理の文脈からは出てこないが、現実問題、裁判員裁判が非対象事件の審理日程を窮屈にしており、「そこ2か月は通常事件の尋問が入らない」的な露骨な選別が行われている現在、大事な視点であろう。
検事の不足についても、経験する限り、整理手続を停滞させているのは、(山田論文で言われていたような)納期感覚の無い弁護人の所業では無く、弁護人の類型証拠開示請求や証言予定開示請求に対してまともな対応が出来ず、2か月3か月と手続を空転させてしまう検察官の方に責任がある(少なくとも私の経験において、私が納期感覚なく時間を浪費しているという認識はないし、そのような批判を受けた記憶もない)ので、検察官の増員も必要である。
②についても、残念ながらそのとおりと言わざるを得ないのが現状だろう。
例えば先日も、起訴から1年が経過し数名の尋問が進んだ非対象事件を(いわゆるヤメ検弁護士が主導する弁護団から)引き取ったのだが、なんと請求証拠開示以外の証拠開示が一切無いまま進んでいたので、絶望的な気分になった。
仮に神の如き見通しで的確なケースセオリーが構築できたにしても、「もしかしたらそれを台無しにする証拠が検察官手持ち証拠に潜んでいやしないだろうか」という点検作業を怠ることは、「プロなら」考えられないのだが、このような弁護人に刑事弁護を担わせることは、無免許運転さながらの危険さである。山田論文の批判は、極めて真っ当な、推奨されるべき刑事弁護の否定と、手抜き弁護の慫慂に向けられているため、本題からは逸れるが、刑事弁護士の専門化は、弁護士会に突きつけられた課題であろう。
③について、ちょっとでも刑事弁護の現場で辛酸を舐めれば、山田論文のような馬鹿げた発想は出てこないはずなので、無論、有意義である。
ところで④は、整理手続の肥大化に対する批判であろう。
整理手続が肥大化して、公判が儀式化することには、夙に批判が向けられている。
そのことは私も承知している。
しかし、裁判が生き物であり、生き生きとした劇的な法廷を志向する向きからの批判を承知で言うと、整理手続段階で反対尋問事項及び弁論が完成されなければならず、公判は、それを取り漏らし無く一気呵成に審理を遂げるべきという現代の弁護実践からすれば、整理手続の肥大化は宿命的であるようにも思う。整理手続でがっちり争点が固められ、検察官は勿論、裁判所によっても「ちゃぶ台返し」がないからこそ、安心して一気呵成の審理に突き進めるのである。
証拠開示の充実自体は、私の示した処方箋その1のとおり、全面証拠開示等で賄えるとしても、集中審理の前提たる争点整理がそこそこで閉じられることは、弁護活動に不測の危険をもたらすため、違和感のある発想であり、更に議論を要するように思われた。
(弁護士 金岡)