最決2021年6月15日(刑事施設被収容者におけるカルテ開示)宇賀補足意見によれば、「法務省矯正局矯正医療管理官編・矯正医療においても,矯正医療に求められている内容は,基本的に一般社会の医療と異なるところはないとしている」という。
しかし、少なくとも名古屋拘置所は、殆ど手遅れになるまで外部医療機関を受診させない基準で運用していることが判明した。
本記事は、それを公表するものである。

【1】
被収容者処遇法は、「必要に応じ被収容者を刑事施設の外の病院又は診療所に通院させ、やむを得ないときは被収容者を刑事施設の外の病院又は診療所に入院させることができる。」として(62条3項)、外部病院への入通院を裁量的に認めるところ、具体的にどのような場合にそうして貰えるのか、という点は明確では無い。

一つ言えることは、「殆ど手遅れになるまで、痛み止め程度で放置されているのではないか」という疑いが強い、ということである。(代用刑事施設では受けられていた外部病院を含む医療が、拘置所に移った途端、禁じられたという苦情は後を絶たない。拘置所でステージ4の末期癌が発見された長期収容者もいれば、手遅れで勾留執行停止後に亡くなった方もおられる。)

【2】
現在進行形の保釈事件で、弁護側の協力医(脳神経専門医)は、被告人に神経根圧迫が進行している可能性があり、後遺障害も懸念されるからMRIによる早急な精査をすべきだとの意見を提出した(情報公開などを駆使して被留置者診療簿等を収集提供し、数週間がかりで形成された意見である)が、これに対し、名古屋高検は、名古屋拘置所の医師から聞き取ったとする内容を提出して反論している。

それによれば、外部病院等への通院基準は、名古屋拘置所の場合、次の通りである。
(本年6月5日、名古屋高検の髙田浩検察官が、名古屋拘置所の土田医師より聴取した内容とのことである。なお、土田医師の下の名前は不詳。)

「一般論として、外部の専門医療機関の診察をさせるかは、名古屋拘置所では常駐の医師がまず判断することになっています。
その判断は、その人の容態が急速に悪くなっているとか、明らかに将来的な後遺症が残りそうだとか、身体生命に危険がありそうだと診られる場合です。」
「(被告人A氏について)仮にAが勾留されておらず外部にいたとして、本人が希望すれば手術が行われるケースもあるかもしれません」

容態が急速に悪化しているとか、明らかに将来的な後遺症が残りそうとか、身体生命に危険がありそうだとか、そういう場合でなければ外部病院等への通院をさせない、というのである。
耳を疑う、おそろしい話である。
どこが、「矯正医療に求められている内容は,基本的に一般社会の医療と異なるところはない」のだろうか。

【3】
参考までに、患者の権利に関するWMAリスボン宣言は、
「選択の自由の権利」として、2a「患者は、民間、公的部門を問わず、担当の医師、病院、あるいは保健サービス機関を自由に選択し、また変更する権利を有する。」としているが、上記名古屋拘置所基準は、明らかにこれに反している。
また、「自己決定の権利」として、3a「患者は、自分自身に関わる自由な決定を行うための自己決定の権利を有する。」としていることにも、無論、反している。

土田医師の最後の一言が、問題の所在を如実に表している。

未決拘禁状態で無ければ、自分で病院に行き、医師から手術を勧められ、それを選択することが有り得る症状であっても、名古屋拘置所はそれを許さない。ここに、医療に関する選択の自由も自己決定権も無い。「一般社会の医療」とは凡そ懸け離れた劣悪さである。

上記土田医師の説明をみた弁護士から「この医師は、被収容者を人としてみていない」という感想があったが同感である。人としての尊厳を否定した上でなければ、このような意見は出てくるはずも無かろう。

【4】
更におそろしいことに、名古屋高裁は、この事案(被告人は一部執行猶予付きの3年の実刑を受けて控訴中)で保釈を却下し、異議申立も棄却した。
当初却下決定に(「原審裁判所意見」も含め)具体的理由はなく、異議棄却決定にも、「原決定は、健康上の必要性などを考慮してもなお、裁量保釈が適当でないと判断したと解され、そのような原決定の判断は相当」と1~2行、書かれているだけで、被告人が精密検査を受けられず、後遺障害も懸念される事態について、一言も触れられていないという醜悪さである。
「我が国の刑事司法は殆ど絶望的」と言うなら、僅かばかりでも希望は残されているわけだが、最早、そう言えるほどの希望も残されていないな、と思う。

(弁護士 金岡)