本欄本年5月26日「手抜きと予断まみれの裁判体」にて報告したように、とある事件の身体拘束にかかる裁判が、特定の裁判官でたらい回しにされて、白紙の心証で虚心に審査してくれる等とは期待しないだろう事態に陥っている。
第2次保釈を請求して、「こいつらだけには配点するな」と上申するも、空しく、またもや関和裁判官に保釈事件が配点される。これを意図的な手抜き配点と言わずして何といおうか、と、たまりかねて忌避を申し立てた。
すると、簡易却下ではなく通常棄却され、当然に不服申し立てすると、「確定するまで保釈の判断に移れません」というご尤もな対応を受け、特別抗告するも同じこととなり、3週間にわたり保釈の判断が受けられなくなるという悲惨な事態に陥った。
6月5日 保釈請求
6月7日 忌避申立
6月12日 忌避即時抗告
6月14日 忌避特別抗告
6月27日 忌避特別抗告棄却
依頼者の理解が得られているとは言え、悲惨な事態には違いない。公正な裁判を受けたいだけなのにこの仕打ちである。狂っているな、と思う。
なお、忌避申立を棄却した6月11日付け名古屋地決は、恣意的な配点であるという主張に対して、「通常とは異なる恣意的な事件配てんがなされた事実はない」と説示した。
これは、「いつもどおり恣意的な事件配点をした」という意味なのだろうな、と思うが、即時抗告審は同論点を「先行裁判に関与した事実それ自体もしくは同裁判官の先行裁判における判断に対する不満をいうものにすぎない」と片付けてしまった(本当に日本語が読めるのか怪しい次元の判断である)ので、正確なところは何とも言いづらい。
今日日、過剰な勾留に対する火の手があちらこちらから上がっているが、公正な裁判を求めて手続的正義を貫こう等するだけで、数十日、余計に勾留されるということも、知られるべきだろう。
(弁護士 金岡)