本欄本年1月24日の記事で、最高裁が事務連絡を発出し、現場の裁判官に対し、弁護人に早期に被疑事実を把握できるよう措置することを求めていることを紹介した。「迅速」に把握するべき弁護活動に「できる限り」応じよ、という、割と強い内容の事務連絡である。
同日記事で報告したように、この件は現在、国家賠償訴訟中だが、案の定、国は、言を左右にして、どうして高山裁判官が事務連絡に沿った対応をしなかったかを全力で誤魔化しにかかっている。
さて、本日付け国側の準備書面である。
「本件最高裁事務連絡は、勾留状謄本交付申請に対する事務処理において、適正な事務を堅持しつつ、迅速性を確保していくために留意すべき視点をまとめた高等裁判所事務局次長等宛ての事務連絡であって、個々の裁判官に法的義務(作為義務)を課すようなものではないから、仮に本件最高裁事務連絡において処理方法として例示された対応がされていなかったとしても、その不作為が国賠法上の違法になるものではない。」
国の公式見解として、個々の裁判官には、高裁事務局次長宛の事務連絡を守る義務がない、ということを言ってしまって良いのだろうか。この国の知性、いや品性の劣化は相当に深刻である。
とりわけ本件の場合、「迅速」「できる限り」という強い表現が用いられ、その方法が具体的に2つ例示されている。これだけ強く具体的な内容を伴う事務連絡であるのに、国賠で敗訴したくがないため、守る義務はないと言い切ってしまう。
あちら側の連携状況は知らないが、苟も最高裁の事務連絡であるから、個々の裁判官が守る義務のあるやなしやについて、国が最高裁の意向を無視して好き勝手な応訴を繰り広げることはできないだろう。とすればこれは最高裁の公式見解になるのだろうか・・?
まあ、最高裁の公式見解かどうかは流石に分からない。
しかし、国の公式見解であることには相違ない。
個々の裁判官は、最高裁事務連絡を守る義務がない。そんなことを言い出す裁判官に、これこれの注意義務があるとか、規範に直面できたとか、社会秩序を乱したとか、そんなことを言う資格はないだろうし、言われてもせせら笑いたくなる。
(弁護士 金岡)