以前、本欄で法格言を引用したことがあったが、古の知恵には端倪すべからざるものがある。というよりは、人の思想など、大半はどこかで誰かが思いつく程度のものなのだから、一定の普遍性を持って扱われてきた法格言をさらっておくことは有用だろう。
ということで、「イギリスの法律格言」なる書籍を読んでみた(同じ著者で「ドイツの法律格言」というのも読んだがこちらは今一)。
刑法編にはこんなのがあった。
【怒りのために爆発された犯罪人は、軽く罰せらるべきである】
激情犯は、量刑上有利に考慮される、ということが随分以前から確立していたようだ。
裁判官編にはこんなのがある。
【神に対してその責めに任ずることは、裁判官には十分の罰である】
何を言っているか良く分からないが、注釈によれば、裁判官の独立についての法格言らしい。裁判官は身分保障され、無能であっても罰せられることはないが、良心の呵責に耐えかねて悔いることがあれば、それで十分の罰であるという意味らしい。
少し裁判官を買いかぶりすぎに思う。期日にへらへらとしている手合いを見ると、到底、そのようなsensitiveな代物ではない。
裁判官の自由裁量に関して、次の2つのものがある。
【自由裁量は、法律上正義とはなんであるかを知ることに存する】・・もう少しこなれて訳すと、「裁量とは、法律を通して何が正義であるかを知ることである」という意味だ。
他方、
【裁判官の自由裁量の余地が能う限り少ない法は、最善の法である】というのもあった。
いつの時代も、理想的に機能する限り、裁量権は正義の体現だけれども、現実はそう甘くはなく、裁判官に自由裁量など与えない方がましだ、という慨嘆があるのだろう。実に共感できる。裁量と我が儘とを履き違えている裁判官の如何に多いことか。
明日から役立つというわけではないし、今時古典の教養というのは流行らないかもしれないが、温故知新ともいう。たまにはこういうのに立ち返るのも悪くはない。
(弁護士 金岡)