【1】保釈裁判が年々、遅くなっていると感じる。
検察官が反対していても原則その日中に処理され、準抗告審も深夜までかかってでもやる、という精神が失われているようだ。何度か書いているが「ワークライフバランス」を被告人の収容の犠牲の下に実現することは筋違いであり、裁判所が、増員や当直制度の充実により実現すべきことである。それが実現するまでの間は、「ワークライフバランス」は被告人の収容の犠牲の前に道を譲るのが、憲法に忠実かつ、公権力を行使して人を収容している機関の責任であろう。

【2】最近の事例を一つ。

金曜午後一番で保釈を請求。どうせ検察官の意見が出ないだろうと思ったら案の定、意見は月曜になるということで週末、放置される。

月曜。午前のうちに検察の意見が出るだろうと思いきや、全く出ない。待てど暮らせど、という奴で、結局16時ころ意見が提出された。
それを踏まえて反論を出したのが17時。裁判所は翌日送りを宣言。

火曜。昼過ぎ、所要の補充作業をして裁判所の判断を待つも、判断が来ない。
17時を過ぎて、一定の方向は見えたが、慎重に明日送りにしたいとのこと。

水曜。朝のうちに簡単に補充書面を出す。
待てど暮らせど判断が来ない。
17時過ぎて漸く判断の動きがあり、17時40分ころ許可。
検察の意見からどうせ準抗告が予想される事案なので、慎重に判断しつつも、その日中に準抗告審の判断が出るくらいの余裕をもって原決定が欲しかったところである。
案の定、準抗告が出る。
20時ころ、裁判所から「執行停止と、判断明日送りのお知らせ」が届く。
「明日送りはおかしい」「24時までかかっても即日判断すべきだ」と食い下がるも、最終的に「記録の量、事案の性質に照らし、責任ある判断をするには今日中は無理」として押し切られる。

・・責任のある判断をするには時間が掛かる、というなら、さっさと執行停止だけしてしまうというのはどういう了見なのだろうか。執行停止は無責任に判断しても良い、と言うのだろうか?
間違っても誤って釈放はしない(どうせ間違うなら収容する方向に間違えたい)、という卑しい根性が丸見えである。

かくして木曜。請求から遂に1週間である。
一日中記録を読み込んでいたのかどうかは知らないが、18時を過ぎて漸く検察官準抗告棄却の一報を受けた。

理想的に考えれば、金曜夕方までに検察意見を出させ、金曜夜に許可決定を行い、準抗告審は土曜送りやむなしとしても土曜判断による釈放、が最低線ではないかと思う。以前はそういうのが当たり前だったはずだ。

責任の第一は、月曜夕方まで意見を出さなかった検察官にある(被告人を収容させている張本人なのだから、土日のうちに意見を出しておけよと思う)。

原決定審は、準抗告審で覆されないためにも慎重さが要求され、多少の時間がかかるのはやむを得ないが、検察意見(月曜夕方)から丸2日は時間が掛かりすぎと思う。

で、責任の第二は準抗告審の姿勢だろう。18時過ぎに準抗告が出されたとして、5時間もあればいける、くらいの目算はできないものだろうか。「責任ある」執行停止の判断が出来るくらいには記録を読んでいるのだから、もう一息だと思うにつけ、はなから、深夜残業お断り、とりあえず執行停止だけしておけば文句は言われまい、という姿勢が見え透けており、甚だ不快である。

【3】往時の名古屋地裁では、23時を過ぎてでも、その日中に準抗告を判断しておこうという気概があった。
AB2名の保釈を同時に請求していた事案で、23時過ぎにAの検察準抗告が棄却されて釈放され、そのことをBの接見室で一報を受けてBの判断もそろそろかと思っていたら、お隣の部が「流石に明日送りにさせて欲しい」と電話してきた、ということをよく記憶している。
今は昔、であり、現在そのような気概は期待できない。

しかし、釈放されるなら1日でも早い方が良い、ということが理解できるなら、安易な翌日送りが染みついている現状は、是正されなければならないだろう。

我々に出来ることは、一つ一つの手続にかかる時間を先読みして、安易な翌日送りの口実を作らせないようにすること、及び、安易な翌日送りに対しては断固、抗議し、必要に応じ国賠などで問題提起していくことだと思われる。

(弁護士 金岡)