否認すると求刑が重くなる、と言われることがある。
反省どころか弁済すら「一般情状」として鼻で笑うが如き論告をする検察官が「反省の欠如」を訴えて重く処罰すべきだと主張するのは矛盾としか言い様がないが、とにかく「否認料」というものがあるとまことしやかに言われているのは確かだ。

さて、係属中の事案なので詳細はぼかすが、次のような事案がある。
400万円の財産犯であり、共犯者はABC他数名。私の依頼者はAである。

(結審当時)
AB共に全部を認めていたが、互いに互いこそ主犯と主張し合う展開。
被害弁償は10%程度。
検察官は、Bが全面的に信用できるとしてAが「首魁」であると主張。
Aに3年6月、Bに3年が求刑された。

(その後のB)
Bは一審は実刑だったが、控訴審で被害弁償が100%に到達し執行猶予となった。
なお、Cは一部のみ起訴されていたが、進行が速く控訴審でも被害弁償が100%に到達しておらず実刑のままであった。

(その後のA)
私が交代で弁護人となり、B供述の信用性を巡り証拠開示を開始。検察官の対応が十分でなく整理手続に付された末、3年かかって整理手続が終結。Aは最終的に、大部分の公訴事実で無罪主張に転じた。

検察官は新たな論告で、B供述の信用性が疑わしいことを認め、「AB共に重要な役割を果たした」趣旨に主張を後退させた。また、400万円全部が弁償されたことに争いは無く、Aが相当割合を負担したことも検察官は認めた。

・・・のであるが、求刑はなんと3年10月に「増えた」。
何が言いたいか、最早、明らかだと思う。

Aについて、量刑上、主立った変更点は、
○ 「首魁」との冤罪が糺されて少なくともBと同格(以下)になった。
○ そのBには執行猶予が付されている。
○ 被害弁償が10%から100%に進んだ。
× Aが無罪を主張しだした。
ということになる。
無罪を主張しだした以外に、求刑を重くする要素がない。
というか軽くなって当たり前の筈である。

これぞ、否認料というものだろう。ここまで露骨なものは初めて見たが。
検察官の求刑はそれなりに合理的である筈、ということを前提に「8掛け求刑」と揶揄されているが、こういう、感情的な嫌がらせとしか言いようのない代物を見せられると、裁判所も、「8掛け求刑」の如き思考停止はダメだと、流石に理解するのではなかろうか。

(弁護士 金岡)