さて、書きたいことが多すぎる、という事態の中で、まずは、この程、見舞われた検察官(準)抗告のことを取り上げていきたい。
最終準備書面と反対尋問準備に追われている中、2件立て続けに検察官(準)抗告を出されると、応戦にてんやわんやであったが、それぞれにちょっとした話題が付いてきたので取り上げる価値があろう。

まずは、件名にあるとおり名古屋拘置所の医療絡みである。

【1】
名古屋拘置所の外部医療機関への通院許可基準が悲惨だという話題を、2024年6月8日付け及び同年7月20日付けで取り上げた。要するに拘置所は、手遅れ寸前まで外部医療機関への通院許可を出さないし、当該分野の専門性があるかどうかも判然としない内部の医師の意見を絶対視し、同医師が不要というならセカンドオピニオンのための通院も認めないという、非人道的な運用がされている。(この種の記事を掲載して以降、拘置所の医療の貧困さを訴える手紙が複数の被収容者から送られてきたほどである)

今回の被告人は、脊柱管狭窄症手術を受けて7日後の時点で懲役3年6月の実刑判決を受け、一旦収監されたのであるが、病院からは1か月後、3か月後のMRI検査を指示され、また、異変があったらすぐに通院するよう指示されていたことに加え、他にも病気が発見され精密検査を指示されていたため、それらを理由に保釈を申し立てた。

係属審裁判所はこれを許可したが、検察が抗告した。

【2】
検察が抗告審で出してきた拘置所からの聴取書(この「抗告審で出してきた」ことも重要であり、これは次回、取り上げる予定である)によれば、①1か月後、3か月後のMRI検査は拘置所から通院させる予定、という。

ここまでは大変結構だったが、②別の病変の精密検査については、「外部の医師等により、精密検査が必要との判断がなされ、それを当所に常駐する医師が確認し、同様の判断をした場合には」外部医療機関への通院許可する、という(名古屋拘置所医務課回答)。
正反対の医学的意見が対立しても、拘置所の医師の方を常に採用する、という恐ろしさ。そりゃ、刑事施設における非業の死や、手遅れになる事態が亡くならないわけだとつくづく思う。単純に言えば50%の確率で正しくない可能性のある拘置所側の医師の判断を絶対視する理由は何なのだろうか。
裁判所は、保釈の判断にあたり、このような凄惨な状態を「顕著な事実」として捉えるべきである。

因みに、この被告人からして、今回収容前の保釈では、手術しなければ下肢廃用に至りかねないという医師の意見書まで提出したのに、通院の必要性なしと判断されて外部医療機関への通院許可もされず、保釈されて漸く精密検査を受け、無事、手術を受け終えたという経過がある。
今回の申立書ではこのような経過を「誤診の前科」と指弾したが、名古屋拘置所は反省する姿勢すら見せない。権力は腐敗するし、暴走もするが、この手合いと言えば腐敗しっぱしの類いである。

【3】
抗告審の判断は、「第1審判決前の被告人の公判出頭状況や保釈条件の遵守状況のほか、腰部の手術を受け、その術後管理を要する状態にあり、今後3か月にわたり通院治療及び検査を要する見込みとされていることなど」から保釈を許可した原審の判断は相当であるという、あっさりしたものである(名古屋高裁刑事第2部)。

というか、「腰部の手術を受け、その術後管理を要する状態にあり、今後3か月にわたり通院治療及び検査を要する見込みとされている」のに収容すべきだと主張する検察庁は、正気なのだろうか、と思った。

(弁護士 金岡)