前回に引き続き、検察官(準)抗告の話題である。
【1】
前回、手術直後の被告人の保釈事案で、検察庁が抗告審において拘置所からの聞き取りを追加提出してきたことを紹介し、この「抗告審で出してきた」ことも重要であると前振りしたところである。
【2】
なにが問題かというと、保釈抗告審の審理命題は、最決2014年11月18日を参照すると、係属審裁判所の裁量判断に具体的な不合理があるか否かに集約されるところ、こちらが裁量保釈の適当性の中核とした医療上の保釈の必要性に対し、抗告審で拘置所からの聞き取りを出されると、係属審裁判所の判断には当然そのような聞き取りは反映されていないから、係属審裁判所の判断は重要な前提事実を適切に捉えていない、みたいな批判を許しかねず、係属審裁判所の裁量判断を尊重すべきことを簡単に潜脱できてしまうのではないかと、感じたからである。
抗告審に提出した意見書では、上記の感覚を(十分に熟れた表現ではないが)「敢えて一部資料を提出せず事情変更を演出することが許容されると、前掲2014年11月18日最決の趣旨が容易に潜脱されかねず、裁判所は、『今回のような聞き取りを、原決定審に提出出来なかった合理的理由がない』以上は、今回のような聞き取りを斟酌するには限度があることを、理解すべきである。」と指弾した。
これに対し、抗告審の判断は特に踏み込んだ見解を示さなかった。
【3】
ところで、時を同じくして争っていた別の検察官準抗告では、どうやら、検察官が準抗告審において大部の追加疎明を行ったらしく(準抗告審では全く対審構造がないので、こちらには殆ど分かりようもない)、そのことを問題視したのだろう裁判所が、次のように説示して結論棄却判断を示していた(同決定は、上記保釈抗告審への意見書提出後に入手したので、本当に偶然の事象である)。
「検察官が、原裁判所においてこのような主張・疎明資料を提出することができなかったやむを得ない事情は見受けられないから、事後審である準抗告審において、原裁判後に提出されたこのような新たな主張・疎明資料に基づき原裁判を取り消すことは相当でない」(名古屋地決2024年10月23日、久禮裁判長)
【4】
いわゆる身柄裁判の(準)抗告審において、原裁判後の事情も考慮出来ること自体は通説的理解であると思う。事例判断としては最高裁の事例も挙げられる(他方で、頑なにこれを拒絶し、例えば「準抗告ではなく解除申立でやれ」みたいな裁判体に遭遇する不幸な事態も依然として止まないが)し、なにより身柄問題は比例原則に照らせば「現在、最小限度と言えるか」が鋭く問われなければならず、手続的にどうだろうと現在最小限度でない身体拘束は違憲違法である。
他方で、無批判に現在の事情で判断するとなると、原審の裁量判断を尊重するという観点が整合性を失いかねないし、今回の検察の手口のように、裁量判断を破るために敢えて後出しするという方法論も生まれかねない。
前記名古屋地決は、準抗告審の性質論から一気に「やむを得ない事由がない限り追加疎明を認めない」判断枠組みを採用したようであるが、それを言い出すと「現在、最小限度とは言えない」場合でも準抗告審の性質から考慮出来ないとして身体拘束や接見等禁止を続けるという危険な事態に陥り、賛成しづらい。
少なくとも、一件記録を保持し、基本的に後出しなどする理由のない検察の「やむを得ない事由」は厳格に判断し、これとは真逆に、殆ど情報が無いところから出発せざるを得ない弁護側の「やむを得ない事由」は緩和して考えるような配慮が必要だろう。
探せば類例はあるのだろうが、手元でこのような議論が展開されたのを見たのは初めてであり、理論上も実務的にも興味深いものだったので、特に取り上げた次第である。
(弁護士 金岡)