【5】尿中覚醒剤成分濃度の問題について

前回、触れたように、検察官は審理途中で、被告人の尿中覚醒剤成分濃度が、C100を1~2錠、服用した程度では濃すぎて説明出来ない、と主張していた。
その要旨は、「実験報告によれば、メタンフェタミン10ミリグラムを経口摂取した場合の、24時間以内の尿中覚醒剤成分濃度は0.5㎍/ml~3.5㎍/mlである。被告人の尿中覚醒剤成分濃度は35㎍/m相当なのでメタンフェタミンを少なくとも100ミリグラム(10×(35÷3.5))を摂取した計算になる。しかしC100には、1錠あたり最大でも5.95ミリグラムしか含まれておらず、1~2錠では説明出来ない」というものである。

このような、尿中覚醒剤成分濃度をもって、摂取量を論争することは、攻守を逆転させつつ何度も経験してきたが、素人が考えるほど科学的知見は深まっておらず、ある専門家の言葉を借りれば「摂取したかどうか以上のことが分かるとは期待しないで欲しい」ということである。
人体実験ができない領域であり、研究も古びて科学的論拠が検証しづらいものばかりである。(本欄2021年7月1日で報告している科学警察研究所報告法科学編33巻4号所収の「覚せい剤の尿中排泄期間について」が未だに使い回されているほどだが、そもそも被験者である被疑者が均質化されていない上に使用状況が自己申告という、素人目にも科学性の破綻した、ひどい代物である)
被告人側の事情も様々であり、体調も左右する因子となるだろうし、継続的に使用しており累積している分を考えなければならないかもしれない。

実は、本欄「(事例紹介)一見あり得そうもない弁解を是認した自己使用事件」(2024年1月17日)でも同様の議論が展開されており、弁護団がしっかりとした検討をされていた。その成果も拝借出来、上記のような議論を有利に展開出来た結果、検察官は非勢を悟り論告では当該主張が消え失せた。というのが実相である。

ここでの肝は、「酸性尿」である。
一見すると、100÷5.95で1錠服用の場合の16~17倍もの濃度になっているように思われるが(ただし、そういう単純比例関係にあるのかも不明と言えば不明だ)、「検査と技術」通巻20巻6号所収の屋敷ら論文(クリーンコピーは国会図書館で入手した)によれば、「MAの尿中排泄は尿のpHにより大きく異なり,酸性尿ではアルカリ性尿の数十倍も多く排泄されることが知られている」という。
そして被告人は、pH6.0という、歴とした酸性尿であった。

ここでも、被告人の尿が廃棄されており、酸性尿かどうか調べようがないのではないかと焦ったが(あちこちの病院の尿検査記録まで調べたが、当たり前だが一定しない)、(前掲弁護団からの助言を受け)尿鑑定ワークシートを再確認したところ、きちんと「6」と書いてあったのである。尿鑑定ワークシート自体は開示を受けていたが、酸性度について記載があることなど、気にも留めていなかった。その時々の問題意識により証拠を見る目が変わるというのは、まま経験することである。

ともあれ、被告人が酸性尿で、従って「普通」(前掲研究報告を「普通」とするなら、であるが、そもそもその「普通」が中性尿を前提としているのかなんなのかも不明である。科学的に見れば、実に雑な、確たることは何も言えなくなる議論である。)の十数倍の濃度は何ら、不思議では無いことになる。

この点、判決は次のようである。
「もっとも、本件覚醒剤成分が検出された被告人の尿はpH6と酸性であったところ、メタンフェタミンの尿中排泄量は尿pHにより大きく異なり、酸性尿ではアルカリ性尿の数十倍も多く排泄されるとされる。上記の尿中覚醒剤成分濃度の推移のデータが、このような尿pHを踏まえたものであるとは認められず、その他、被告人の尿の濃度から摂取した覚醒剤の量を推認できる客観的な証拠は存在しない。
そうすると、本件では、本件覚醒剤成分がC100の摂取に由来する可能性を否定する客観的な事情はなく・・」

検察官が論告で主張を展開しなかったため、半頁ほどであっさり決着しているが、端的に言えばこういうことであり、検察官に厳格な立証責任を課せばこうならざるを得ない、客観的、科学的議論は全く成り立っていないと言うことである。贅言であるが、こうやって解明不能に陥ったことを、「色々あるから弁護人の主張は成り立たない」と背負い投げを食らわせる愚昧愚劣な裁判体と、利益原則に基づく弁えのある判断を示す裁判体とがある。後者に当たったことは幸いであった。

(3/3・完へ続く)