【6】判決の紹介
摘まみ食い的に判決を紹介してきたが、改めて紹介する。
名古屋地判2024年10月22日(蛯原意裁判長)である。
1.枠組みは東京高判2007年2月28日に沿って、尿から検出された以上、特段の事情がなければ故意の自己使用を推認すると言うところから出発し、本件の場合、C100問題があるため、「検察官に立証責任がある以上、本件覚醒剤成分が尿中から検出される期間内に、被告人が、覚醒剤成分が含有されていることを知らずにC100を摂取した合理的な疑いがある場合、上記特段の事情は否定されない」(7頁)とする。
その上で、検察官の反論(1)(2)(前々回を参照)を順次、検討し、(1)被告人が分散させてあったC100を弁護人等を介して裁判に提出した経過を、およそ信用できないとまでいえる事情はないと判断し、及び、(2)被告人が虚偽自白をした理由についての公判供述は俄に信用しがたいが、「被告人が勃起不全治療薬としてC100を服用していたとする点もおよそ信用できないものであるかは別途検討する必要がある」(9頁)とした上、既述のアップルウォッチの通信履歴等から、C100服用にかかる変遷後供述は信用できる、とした。
その結果、前記推認過程が否定され、被告人は無罪となった。
2.若干、補足しておこう。
(1)東京高判を援用した枠組みについては、要するに覚醒剤は日常的に転がっているものではない特殊なものである、という前提があるが、本件では、勃起不全治療薬の模造品とはいえ、覚醒剤とは思えない錠剤(知識がなければ怪しいとは思わないだろう)から覚醒剤成分が出ているので、果たしてその前提が維持されていると言えるのかは疑問である。
弁護人としては、「身体に摂取された際に人に薬理作用を与え得る薬物には多種多様なものが存在する上、違法なものを含むこの種薬物の取引においては、粗悪品は勿論のこと、偽物が用いられる場合もあることからすれば、ある行為が特定の薬物を規制する法律に反することを認定するためには、原則として、その行為の対象となった薬物が法の規制する特定の薬物であることを科学的鑑定によって立証する必要がある」とした名古屋高判2019年6月15日(本欄2021年6月15日以下参照)の枠組みに基づき、「その尿中覚醒剤成分が、科学的に、C100由来ではないと証明できるか」という論じ方をしたが、その点に特に言及はなかった。
(2)被告人が、捜査段階の自白理由を説明した内容が、にわかに信用できないと退けられた上で、しかし「被告人が勃起不全治療薬としてC100を服用していたとする点もおよそ信用できないものであるかは別途検討する必要がある」として変遷後供述の信用性は別論だという理解が示された点は、当然のこととは言え、優れた弁えである、と思う。
検察官は、「自白が正しければ、変遷後供述は正しくない」という誤導を目論んだのではないかと思われるが、「自白も正しいし、変遷後供述も(C100服用部分は)正しい」ということは当然に有り得る。
弁護人としては、別に自白が正しくても、それは「被告人が覚醒剤と思っているものを使ったという事実」が明らかになるだけで、科学的な成分立証には至らず、本件では尿中覚醒剤成分がC100由来である可能性が否定できない結果、「被告人が覚醒剤と思っているもの」が実際に覚醒剤だったかは証明しようがないという問題の立て方をしたが、共通するのは、自白が信用できるとしても証明力は別問題だという、きちんとした着眼点である。
世上「虚偽供述動機がないから信用でき、従って、そのとおり認定できる」というような馬鹿げた判示が氾濫しているが、そこに論理の飛躍があることは明らかであり、「嘘はついていないがそのとおりの事実認定には至らない」場面が存在することを理解できる裁判官と、それすら出来ない裁判官で、悲惨なほどに当たり外れが起きる(残念ながら経験する限り圧倒的多数は後者に属する)。
【7】教訓、感想など
1.やや大言壮語に映るかもしれないが、「耳を疑う有罪判決」は数あれど、「耳を疑う無罪判決」はない。無罪判決は、そうなると確信して弁論を行い、その上に得られるものである。
本件は、「勝ち将棋、鬼の如し」とでも言おうか、こちらの簡易鑑定も裁判所の本鑑定も期待を裏切らない成果が得られ、酸性尿で隘路に入り込みかけたところワークシートに救われと、とにかく上手く噛み合ってくれたが、それでも、誰でも無罪に至るような事案では無かったことは確かである。
個々的に見れば至らぬ所もあっただろうとは思うが、証拠構造を見極め、例えば必要以上に初期の自白の議論に付き合わない(科学的証明を要求すれば、その証明力は取るに足らないことが自明)等々、要所要所で間違いはなかったと思う。
2.証拠開示は、やはり欠かせない。
アップルウォッチの通信履歴にしろ、ワークシートにしろ、弁護人がそれなりに汗をかいて作業しなければ手に入らない。
立て続けに再審開始が生じて、証拠開示制度にどのような変動が生じるのか、興味深くはあるが、上記のような証拠がなにもしなくても手元に届くようになる時代がすぐ来るとは思われない。
先進的な証拠開示事例は、都度、共有していく必要がある(実例を交えた証拠開示の文献は、相当古いものばかりで、まとめて学ぶ方法に乏しい。なんなら自分で作成している研修レジュメが一番詳しい文献ではないかと思うほどである。裁判例を読み、貪欲に実務的な経験を積み、多様な証拠類型を学んでいくしかなかろう。)。
3.愛知県警の尿廃棄問題は深刻であり、弁護士会が動くべきだと思う。
なにしろ客観証拠を廃棄し、その後の鑑定で全量消費し、一切を残さない、という非科学的、誤判の危険を高めることを、わざわざ、意図的にやっているのである。人は間違いを犯すものだし、流動的な裁判においてどのような観点から尿が必要になるのか分かったものでもなく、お隣三重県の実務を見ても、保管することにさしたる困難さもないのに、殊更に客観証拠を廃棄するその姿勢は、冤罪の歴史からなにも学ばず、寧ろ積極的に冤罪の危険を高めているものとしか思われない。
将来、必要になったときに備えて保存しておくべきは当然であり、このような濫りの廃棄を続けるならば、関与した警察官を片っ端から証拠隠滅罪に問うべき事態に至ろう。
(3/3・完)
(弁護士 金岡)