本記事は、2023年12月11日「『打合せ期日』では費用補償を削られるのか」、2024年4月1日「最後まで武器対等ではない被告人」、2024年11月25日「費用補償事件の長期化」の流れに属する。
【1】電話による打合せ期日の費用補償対象性
もはや眼中から消え失せている、解決済み論点ではあるが、今回紹介する仙台高決2024年12月26日は、電話による打合せ期日の出頭経費が費用補償対象になるかについて、「当審の事実取調べの結果によれば、法テラスにおいては、国選弁護人報酬について、裁判所の主宰により進行協議のための打合せ期日が電話会議の方式により行われた場合、検察官及び弁護人に同期日への参加の機会が与えられ、かつて実際に弁護人が同期日に参加した場合には、法テラスの算定基準に基づき、加算報酬の支給封象としていることが認められる。この実情を参酌すれば、費用補償請求事件においても、裁判所が指定した期日として行われた法曹三者による進行打合せについては、それが電話会議方式で実施されたものであっても、刑事訴訟規則上の進行打合せに準じる手続期日として、請求人及び弁護人であつた者のいずれの費用についても、費用補償の算定対象とするのが相当である。」として、原決定を変更し、費用補償対象性を認めた。
尤も、このような変更決定の背景には、法テラスがどうしているかをわざわざ事実調べしたという事情があり、冤罪被害者に対し、無用にかけた負担を出来る限り償おうとして自分の頭で考え出されたものではなく、法テラスがそうしているならそうして良いだろうと言わんばかりの下らない決定に過ぎない(このように仙台高決を「こき下ろす」理由は、本記事を通覧すれば分かるだろう)。
【2】学者の意見書作成費用や現地調査に要した交通費等
2024年4月1日「最後まで武器対等ではない被告人」で取り上げたとおり、原決定である盛岡地決は、学者の意見書作成費用や現地調査に要した交通費について、「審理や各裁判所の判断に資するものであったとは認められない」として一蹴した。
最善努力義務に基づく合理的弁護活動に要する費用が補償されないとは、驚き呆れるばかりと、即時抗告したわけであるが、仙台高決も同旨の判断を維持した。
その理由付けを紹介しよう。
「弁護人としての活動に要した費用を報酬の算定に考慮するかについては、その活動が審理や各裁判所の判断に資するものであったかによつて判断するのが相当であり、これに沿つた原決定の判断は正当である。所論の『最善の弁護活動のための費用』については、いかなる弁護活動が『最善』であるか判断するのが困難である上、これをすべて補償の対象とすることは、各弁護人の裁量により活動が無限に拡大し得ることとなり、不必要に過大な弁護費用を支出した被告人を優遇する不公平な結果にもなりかねないことなどから、認めるのは相当ではない。所論が挙げている諸費用を、弁護人であつた者の報酬の算定に当たって考慮しなかつた原決定の判断に誤りはない。」(仙台高決2024年12月26日、渡邉英敬裁判長、柴田雅司裁判官、鏡見薫裁判官)
どんなダメな育ち方をすれば、こんな下らない決定を書くようになるのだろうか?と、よそ事ながら少々、心配になる。
今回の決定によれば、裁判所には、特定の弁護活動が弁護人の最善努力義務に基づく合理的裁量の範囲に属するかどうかを判断する能力がないそうである。
ああそうですか、という感じだ。そうすると差し詰め、原発訴訟も、医療過誤訴訟も、専門家裁量の範囲内かどうか、裁判所様には判断能力がないことになるだろうね、と皮肉りたくなる。
刑事弁護人の裁量論に目を向けても、特定の弁護活動が実効的援助としての実質を有さず弁護過誤か(それを放置した訴訟指揮が法令手続違反か)が争点化する事案は幾つもあり、例えば有名な最決2005年11月29日は、死刑求刑事件について被告人の主張と大きく隔たる事実主張を展開した弁護人の弁護活動を「最大限有利な認定がなされることを企図した主張」として容認したのであるが、今回の仙台高決によれば、それも判断出来ないと言うことになるだろう。実に馬鹿げているとしか言い様がない。
馬鹿げているだけならまだましだが、「各弁護人の裁量により活動が無限に拡大し得ることとなり、不必要に過大な弁護費用を支出した被告人を優遇する不公平な結果にもなりかねない」と述べる下りに至っては笑うしか無い。
よしんば裁判所に合理的裁量を判断する能力がなく、うっかり裁量逸脱の弁護費用を補償することになったとしても、冤罪被害者に対する補償が欠け過ぎるよりはましではないだろうか。「99人の真犯人を逃がしても1人の無辜の救済を」というが、仙台高決の姿勢は真逆であり、「99人に不当な利得をさせないために、1人の冤罪被害者に割を食わせる」という発想でおられる。もうどうしようもないな、と思う。
これだけ冤罪が話題となっている時期に、被告人に対し、「結果として役立った弁護活動経費以外は自腹だよ」という裁判所は常軌を逸している。「結果として役立ったか」を問うなら、弁護人の主張は排斥しつつ違った角度で無罪とした事件は、費用補償は0円になるのだろうか?「その弁護人がいなければ有罪だった」かどうか、裁判所には判断する能力があるのだろうか??
まあ、新年初笑いのネタにはなった。
【3】年末大そうじの感覚
別記事で批判したことも踏まえて、お浚いすると、本件の原審は、2023年3月に申し立てたが、決定は2024年3月15日と、丸一年かけた。
即時抗告審は、2024年3月に申し立てられ、決定は2024年12月26日である。
費用補償事件は、(特に個別の弁護活動費用が合理的裁量の範囲かを検討しようとしない各決定の立場からは)基準に沿って費用を積算するだけであり、気の利いた交通集中部なら2週間で和解案を作ってくるだろう作業分量に過ぎない。
これを1年とか9か月とか、かける、と言うこと自体が驚きだし、ぴったり年度末あるいは年末に決定が出されるというのは、要するに、後片付けとか大そうじの感覚で、片手間に処理しているからだと受け止めざるを得ない。
どこまで冤罪被害者に向き合えない輩なのか、と思うわけである。
(弁護士 金岡)