保釈は防御に直結する。
当たり前のことである。
裁判を受ける権利が憲法上、保障されているのに、それを行使すればするほど身体拘束という人権侵害が長引く、という事態が背理であることは、誰にしも分かろう。そのような事態は極限まで減らさなければならない。
少し思うところがあって、当事務所で扱った保釈案件を整理していたのだが、2023年冬から2024年冬の約1年の間に、頭数で11件(同一人で複数回、請求を繰り返した場合も1件と数える、但し審級が違う場合は別計算)ほど、あった。
許可案件は、1回で許可されたのが7名、複数回目で許可されたのが2名。
不許可案件は、1回請求して終わったのが1名、複数回請求したが結局最後まで許可されなかったのが1名である。
数字は正直だと思ったのは、「現在、既に確定しているか」である。
不許可案件の2名は、何れも既に確定している(例えば控訴審を受任したが上告を断念したなど)。
他方、許可案件9名のうち、確定しているものはなんと0名である。
当たり前のことだが、保釈されていれば、腰を据えて争う判断が容易になる=憲法上の裁判を受ける権利が萎縮しない、ということを数字が物語っている。
「保釈を良いことに引き延ばして少しでも収監を先送りしようとしている」との批判があるかもしれないが、だからといって、可能な限りじっくり争うべき権利保障を否定することは出来ない。
なるほど、保釈は防御に直結しているし、裁判を受ける権利を実効あらしめるための最低保障なのだと、数字から実感出来た次第である。
(弁護士 金岡)