本欄12月10日「身柄拘束について」で、「争って勝てるという保証もない、という中で心を挫かれることは想像に難くない」として、人質司法を批判した。
その後、たまたま目にした「エスコビード事件」連邦最高裁判決が、(弁護人選任権告知の文脈であり、文脈は異なるが)同じようなことを述べていると知った。いわく、「本件被疑者について、黙秘をする絶対的な惟利があることを告知することなく、警察は彼に供述を迫ったのである。何年も前に当裁判所が述べたように・・・・また逆に、犯行を否認することで、自分にかけられた嫌疑を晴らすことができるという希望をもてるということは必ずしも思われないということは疑いない。」
エスコビード事件は1964年に出されている。今から半世紀も前に、こういうことが言われている。日本の刑事司法実務は、つまり否認する者の心をくじき続ける人質司法は、実に半世紀遅れである。
なお、エスコビード事件のことは、
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34841/1/59-3_p199-239.pdf
この論文で詳しく読むことができた。同事件のみならず、当時の連邦最高裁判例が複数紹介されており、実に参考になる。
(弁護士 金岡)