まずは問題の所在を。

刑事裁判の証拠物をじっくり確認すると、思いがけない手がかりが隠されていることがある。例えば「このメモこそ、被告人の犯行の裏付けである」とされたメモの、写真コピーではなく現物を確認すると、そのメモが事件より遙か以前に作成されたと窺える痕跡が発見できたりする。近年は、電磁的記録(例えばデジカメ写真データ)も多用されるから、根気よく写真データを拡大して仔細に点検すると、様々な問題点を発見できる機会は多かろう。

さて、我々弁護人には、証拠物を閲覧する権利があるし、複製する権利もある。従って、先の例で言うならメモはともかく写真データは、データを事務所に持ち帰り、じっくり検討することが出来るのである。

翻って、被告人はどうか。
身体拘束されていなければ、検察庁なり警察に同行するなり、事務所に来て貰うなどして、やや不便ではあるものの検討機会は満足に確保できる。

他方、身体拘束されていると、そういったことは何れも困難である。
ではこちらから差し入れるか?となると、そもそも差し入れが不可能なもの(前記メモは借り出せないし、事故車両が差し入れられないことは誰にでも分かる)もあれば、差し入れが物理的に可能であっても刑事施設側が拒否する(例えばデジカメ写真データは、再生機器もデータも、差し入れが拒否されるのが現状である)ものもあり、思うに任せない。
このことは、刑事裁判の当事者が被告人その人であり、第三者である弁護人よりも被告人がその目でじっくり確認する方が遙かに勝る(ある種の関わりがあるという経験性があること、時間が豊富であること、最も切実な思いを抱えていることの、どの点でも最適任である)ことからすると、おかしな事態である。身体拘束されているの一事をもって、このような証拠検討機会を奪うことは正当化できないと思う(ちなみに、刑事訴訟規則178条の6第1号、刑訴法316条の14本文は、証拠物の閲覧等の機会は「被告人又は弁護人」に与えれば良いとしているから、弁護人が与えられてしまうと、被告人には最早、その機会を失うという構造になっている)。

このような問題意識は、刑事弁護に深く関われば関わるほど、先鋭化する。一昔前は、一方弁護人が接見室で被告人の指示を受け取り、それを閲覧に赴いた他方弁護人に電話で伝達して、「眼」の代わりを務めるなどという迂遠なことをさして疑問も持たず(仕方ないなと言う感じで)やっていたのであるが、近時は、それがいかにばかげたことで、本筋でないかを痛感している。

この問題意識の発露の一つが、本欄本年2月18日「小くらいなり」で掲げた③の方法論(差し入れ拒否に対する何らかの法的措置)であるが、それとは別に、現在、身体拘束された被告人の証拠物閲覧について(普通は行われていないであろう、ある意味で画期的な)出来ていることを、紹介してみたいと思う。(続く)

(弁護士 金岡)