実務上、身体拘束下にある被疑者には取り調べ受忍義務があると言われている。これに対し、在宅被疑者に取り調べ受忍義務が無いことに概ね争いは無く、従って在宅被疑者は、取り調べを要請された場合、応じるか否かを決定する自由がある。
さて、このような在宅被疑者が、取り調べに応じる条件として、自身の弁護人を取り調べに同席させることを条件付けることは可能か。これが本稿で取り上げる内容である。
私は、このことを当然に可能と考えており、10年来、実践すると共に普及に努めてきた。「実践」とは、例えば瑞穂警察署で道交法違反事件の在宅被疑者の取り調べに同席したことがある等である。また、「普及」先の弁護士から、現に同席できたという報告事例は複数ある。
理論的に考え出すと、在宅被疑者に同席権があるなら身体拘束下の被疑者にも同席権があるはずでは無いのか、と考えたいところである。取り調べ受忍義務を取り調べを拒否できないという意味に捉えるとしても、一人で取り調べを受けなければならない義務までを当然に含むとは考えづらい。しかし、このことを論じ出すとややこしいので、取りあえず在宅被疑者であれば実践例は複数ある、と言うことに止める。なお、この問題に言及した拙稿で紹介しているが、名古屋地裁決定で「同席を求めることは不当では無い」としたものがある。
しかし、最近では、警察・検察とも、激しく抵抗し、こと私の体験下では同席を認めようとしなくなっている(「普及」先の知己からは、かならずしもそうでないように聞いているが)。名古屋地検の某検察官は、拒否理由として「取り調べは一人で受けるものだ」という、訳の分からないことを述べていた。
これは一昨年の出来事であるが、とある事件で、被疑者が、逆に自身こそ被害者であると主張して被害届を出した案件がある。同事件も在宅被疑者(正確には準抗告が認容されて釈放された)であり、私は同席要求を出したのであるが、警察はこれを拒否し、結局、取り調べは行われずじまいであった。不可解なのは、その被疑者の被害者としての事情聴取であり、当然、言い分を述べる必要があると言うことで事情聴取を求め、こちらについては同席が認められたので、私も横に座って事情聴取に対応してきた。
同じ事件の、同一人である被害者には代理人を同席させる権利があり、被疑者には弁護人を同席させる権利が無い、という、この警察の判断は、非常に据わりが悪い。被害者保護法制は、少なくとも憲法上の権利として明確では無く、従って、被害者配慮は法律上の要請(以下)「に、すぎない」一方、被疑者の弁護権(実効的な弁護を受ける権利)は憲法上の人権であるから、被害者配慮の要請に勝るとも劣ることは無いと考えるのが論理的帰結である。
結局、警察(にしろ検察にしろ)は、被疑者を締め上げるには弁護人は邪魔だと考え、排除したいだけなのである。その憲法上の人権軽視の思惑が透けて見え、あさましいことこの上ないと思うのである。
被疑者に武器対等を保障し、知識のなさに付け込んだり、立場の弱さに付け込んだり、根負けさせたり、そういったことを完全に回避して、それでも起訴できる事件だけが起訴されていく、そうあるのが当然だが、現実は上記の通り、非常に立ち後れている。現場の弁護人が、自身の依頼者を孤立させず、守り抜く実践の積み重ねが、少しずつでも現場を変えていくと信じたいものである。
(弁護士 金岡)