本欄、平成27年11月11日で報告した無罪事件の検察控訴事案は、あえなく破棄・有罪判決となった(平成28年10月17日、名古屋高裁刑事第2部、村山浩昭裁判長)。この裁判長下でも着任後の1年半で無罪維持が1件(は)あることを考えると、精進が足りないと一先ず考える必要はあるだろうが・・唾棄すべきは、その姿勢である。内容に触れない限度で、以下、簡単に述べてみたい。
第1審は、随所で検察官の立証不足を指摘した。
そこで検察官は、種々の証拠を新たに請求した。事実誤認を主張する論旨であるから、やむを得ない事由が必要になるが、全て第1審段階で可能・すべきものと見受けられた。そして今般の高裁判決も、そのとおり、「やむを得ない事由」はない、と認めた。
しかし、である。
高裁判決は、要旨「第1審の証拠関係からも第1審の事実誤認は相当程度明らか」と断じて、そのように、「自分たちは無罪だとは思わない」という姿勢に基づく職権探知を「制限される謂われはない」と開き直った。
要するに、同じ証拠関係を見ても、自分たちは有罪だと思うから(破棄するためには新たな事実取り調べが判例上の要件となるため)「やむを得ない事由」のない証拠調べを追加で行うという、(有罪のための証拠集めのための)続審と化したのである。
近時の判例は、上級審が裁判のやり直しではなく事後審であることを鮮明に打ち出す傾向があるが、今般の高裁判決はそれと真逆である。弁護人請求証拠を排斥するには「やむを得ない事由」を使い回しながら、自分らのやりたい事実取り調べは好き放題、それも、それが許される理由は「有罪と思うから」では、理屈も何もあったものではない。
ついでにいうと、同じ証拠関係を前提に既に結論が違う、という場合、被告人は、たまたま第1審で無罪と思う裁判官にあたり控訴審で有罪と思う裁判官に当たったから逆転有罪という憂き目に遭ったことになる。50%の確率で逆の展開、つまり控訴審で逆転無罪になるとして、憲法違反等の適法な上告理由がなければ無罪が確定する展開も期待できるとすると、くじ運の悪さが有罪無罪を分けたことになる。
これでは二重の危険そのものではないか。
運の悪さで片付けていては進歩は望めないとは言え、当たり外れによる事態の悲劇的な展開を思うと、やりきれない。
(弁護士 金岡)
平成28年12月1日追記
美濃加茂市長事件の余波で(担当弁護士が本欄に言及された)、本欄の閲覧件数が相当数に及んでいる。
そこで追記すると、知る限り、この2ヶ月で同じ名古屋高裁刑事第2部が無罪判決を破棄したのは、他に1件ある。いわゆる騙された振り作戦と詐欺罪の成否を巡る本年11月9日判決がそれである。公平を期すと、同じ部において、GPS捜査の違法性について肯定する判決も出ているし、別の騙された振り作戦では実行行為性は認めるも故意を否定して無罪判決を維持した判決も出されているので、たまたま2ヶ月で3件も無罪がひっくり返ったからといって、それだけでどうこういうのは宜しくないだろう。
しかし、そうはいっても2ヶ月で3件も無罪がひっくり返るからには、何らか姿勢上の特徴があるのではと考えてみても強ち間違いでもなかろう。美濃加茂市長事件の前記担当弁護士の記述を拝読する限り、少なくとも、事後審として原審の判断を審査すると言うよりも、自身の心証を優越させ、それに沿う審理を推し進めているのではないか、と疑われる。人は、自分の間違いは認めがたいものだ。とすれば、心証を優越させ、それに沿う審理を進める限り、「自分は正しい」ことの確認作業に陥りやすいから、審理は儀式となり、結論は見えている、という批判も妥当しよう。
裁判員裁判導入時も控訴審改革が議論されながら、なにも手当てされず、最高裁が判例法理を打ち出す展開をたどったが、いよいよ、控訴審改革待ったなしの時期に来ていると思われる。