先日、判決公判に向かうにあたり(その結果は本年10月17日の本欄の通り)なんとなく普通より15分も早く事務所を出たのだが、外堀と丸の内の交差点で信号待ちをしていると、ふらふら歩く高齢男性が、いきなり転倒して後頭部を路面に打ち付けた。10メートルは離れていたと思うが、「パッカーン」という乾いた音がした。見ていると、起き上がることもできないようである。
思わず周囲を見回したが、誰一人、そちらに向かわない。弁護士バッジで目算して5人は弁護士がいたと思うが、向かわない。
近寄り同男性に声をかけると、2人の若手弁護士と思しき方もやってきて、声かけを手伝ってくれた。
・・とまあ、それだけの出来事だが、弁護士があそこで信号待ちしていると言うことは、裁判所や弁護士会へ向かう途中であるに違いなく、急ぎであろう。遅刻して良い事件があるわけではないが、遅刻できない事件を抱えていたのかも知れない。
にしても、後頭部を打ち付け起き上がれない高齢男性を後ろに立ち去る神経というのはちょっと、理解しがたいものがあった。14年選手の私から見ても、ベテランで人格者と言われる域の先生もおられたのだが。
関わり合いになりたくはないし、事件もあるし、他の誰かがやるだろう、という意識は、なるほどこういうものなのだ(人格の陶冶に努めるべき弁護士でもそうなのだ)。電車で態度の悪い乗客を注意するとか、なかなか気持ちがついてこないものだが、せめて人命に関わるあたりでは行動できなければ、人権や人道を振り回す普段の弁護士としての言動が泣くというものだと思う。
裁判所も「人命救助」と言えば10分15分、待つだろう。言行一致は困難であるが、(仮に15分の余裕がなくともそうできるよう)心がけたいと思わされた。
(弁護士 金岡)