1月に入り、「嫌疑不十分」不起訴が3件、相次いだ。
「嫌疑不十分」と分かるのは、刑訴法259条に基づく不起訴結果通知に、不起訴理由が書き込まれていたからだ。
同条は「検察官は、事件につき公訴を提起しない処分をした場合において、被疑者の請求があるときは、速やかにその旨をこれに告げなければならない。」のみと規定しており、不起訴理由の記載は法的に義務付けられていない。解説書などを紐解くと、通知する検察官の自由裁量という趣旨の説明が一般である。
しかし、である。被疑者にとって、時に不起訴理由は重要である。例えば痴漢容疑の事件で無実を主張していたとすると、「起訴猶予」の処分理由では配偶者に顔が立たないかも知れない。そこは、「罪とならず」か、せめて「嫌疑不十分」であれば、身の証を立てる縁ともなろう。他に、勤務先関係も然りである。
思うに、被疑者が希望する限り、不起訴理由の開示を拒む理由は考えあたらない。被疑者が希望することを条件に、不起訴理由の開示を義務付けてはどうかと考える。
私は、必ず「処分理由の骨子を併せて回答するよう」求めるのであるが、一定数、処分理由の開示を拒まれることがある。そしてそこには、要約すると、「嫌疑不十分なのだが、嫌疑不十分と認めたくない」という、つまらない意地のような、若しくは他事考慮的な意思を感じる。
つまり、検察官としてはなんとしても起訴に持ち込みたかったが、最後の最後で起訴を断念した事件のような場合、検察官として「嫌疑不十分」の証明書を発行するようなことは、悔しくて受け入れられないのだろう、という感触が一つ。接見の都度、抗議文を出さざるを得ない程に激しい自白強要が続いた案件など、そうであった。
また、迂闊に「罪とならず」「嫌疑不十分」等と言おうものなら、それを民事裁判などで逆用され、元被疑者側証拠として利用されかねない、ということもありそうである。不十分な嫌疑なのに逮捕したという国賠訴訟や、被害者側からの民事訴訟に対し真っ向から棄却を求めるような場合を想定すれば分かりやすい。これがもう一つである。
以上のような想像が当たっているとすれば、どちらも本来的な理由ではあるまい。事実として嫌疑不十分なら、それがどう利用されようと、事実を認めることに躊躇いがあるというのはおかしい。まして、被害者や国が逆襲に遭わないよう、政策的に不起訴理由の開示を行わないというのは権利の濫用だ。
裁量と言っても合理的なものでなければならないのであり、
1.被疑者の請求を条件に不起訴理由の開示を原則とし、
2.例外的に不開示とする場合は、不開示理由を明示する、
という仕組みはどうだろうか。ともかく、現状のように、検察官の胸先一つで不開示とすることが出来、外部から糺す仕組みがないという状態は、不健全であり、権利侵害的である。
(弁護士 金岡)