万引き被害に遭った店が、防犯カメラ画像を店舗内外に「犯人」として貼り出すことの法的是非如何。問題状況を分かりやすくするため、「間違いなく犯人である」としておこう。
1.私見
(1)前稿で指摘した弁護士ドットコムの記事は、名誉毀損の問題(のみ)を取り上げていた。私は、そもそもこの問題は名誉毀損問題という角度だけから論じるべきではない、と考える。①社会に平穏に戻る権利、②手続保障問題、その角度から論じるべきである。
(2)つまり例えば、同じく万引き犯として起訴され、有罪判決が確定し、服役を経て社会に戻ってきた犯人を念頭に考えてみると、この犯人は、刑法が予定する制裁手続を順次、受け、それを務め終えて社会復帰したことになる。この犯人に対し、被害店舗が~というより警察であれ誰であれ~「犯人はこの人です」などと防犯カメラ画像を貼り出すことは、地域社会への社会復帰を妨げる。刑法は、そのような制裁を予定していないから、刑罰に加えて、このような制裁を加えることは許されない。
そうすると、捜査機関が認知する以前の段階で、刑法が最後まで予定していない制裁を私的に加えることは、(それを目的としたものでなかったとしても結果として同じ効果をもたらす以上は)やはり許されないと考えられる。犯人が、最終的に罪を免れるのか、それとも司法判断に服することになるかは、この際、関係がない。最終的に平穏に社会に戻る権利が保障されているのだから、それを侵害する貼り出し行為は、どの手続段階で行われるにせよ、許され得ない。
(3)この問題は、手続保障の角度からも説明できる。
我が国の法体系は、自力救済を禁じていると理解されている。客観的には不法に所有権を侵害する侵入行為に対し、自らこれを切除するような行為も違法である。
自力救済を禁じ、救済は司法手続に委ねる手続的な合意が社会内で形成されているとなれば、本件のような貼り出し行為は、実力行使で犯人を懲らしめ、言うことを聞かせ、もしくは制裁を科す、という行為に他ならないから、この手続的な合意の慮外である。寧ろ、きっぱりと違法な自力救済行為と言わなければならない。
自力救済を禁じることは、それこそ公共の利害に関わり、これを確保するものである。被害店舗も、別の場面では、自力救済による(場合により謂われのない)被害から守られているからである。
(4)以上の検討から、本件貼り出し行為は、①社会に平穏に受け入れられる権利を侵害するという法律の予定しない制裁を科すものであり、しかも、②手続保障的に考えれば、禁じられた自力救済による被害を甘受させるものであるから、到底、成り立たない。少々思考を巡らした結果、私の感性が100%・黒と判定したことを理論的に整理付けると、このようになる。
批判めいてくるが、前掲記事が「それくらいの見せしめは必要」と論じていることは、少々、驚きであった。私的「見せしめ」を容認することは、近代的な国家の成り立ちから逆行する。
2.更なる検討
(1)名誉毀損問題について
この点でも、前掲記事と私は結論を異にする。
そもそも、被害店舗による貼り出しは、それこそ「見せしめ」か、百歩譲って損害賠償を得る目的であろうと思われるが、これらが公益目的かというと、私怨、もしくは私的利益目的であって、該当しない。
公共の利害に関わるかと言われれば、前掲記事が論じるほどに「周囲のお店の利害」に関わるのか疑問がある(周囲のお店は、貼り紙の人物である犯人の立ち入りを拒否することは出来ないだろうし、せいぜい警戒を強める程度だとすれば、数店舗にその程度の恩恵をもたらす程度で公共の利害に関わるというのは飛躍があるように思われる)。
(2)メディアによる顔写真報道との対比
メディアによる顔写真報道と私人による貼り紙とを同列に論じるのも乱暴である。
メディアは、中立公正であること、また、それなりの見識を期待されており不当な報道をすれば存立に関わることになりかねない立場であること、報道量には限界があるから自ずと公共の利害の強いものが厳選されていくだろうことが期待できること、といった事情があり、抑制的で説明付けやすい報道に収斂していくだろう(メディアによる報道も、相当しばしば、目に余るが、まだしも相対的にはそのように期待できる類型の筈である)。
それに比べ、私人、それも被害当事者ともなれば、以上の何れとも真逆の力学が働く結果、ひとたび被害を確信するや、抑制が効かず、「見せしめ」等の動機や、また、情報の伝達度合いを弁えない貼り出し行為が生じる蓋然性が高い。
従って、メディアによる顔写真報道と基本的に同じに考えるというわけにはいかない。
(3)最三小平成29年1月31日決定
このような議論との関わりで想起されるのは、近時「忘れられる権利」との兼ね合いで話題となった標記最高裁決定である。
同決定は、「当該事実の性質及び内容,当該URL等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度,その者の社会的地位や影響力,上記記事等の目的や意義,上記記事等が掲載された時の社会的状況とその後の変化,上記記事等において当該事実を記載する必要性など,当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべきもので,その結果,当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合」に限り、ウェブ記事からの削除請求を認めたものであるが、「プライバシー」を既述の社会に戻る権利と読み替えるなら、類似した議論が出来るかもしれない(個人的には狭隘に過ぎて評価できない判例であるが)。
ともかくも、そうとすると「貼り紙」の目的や意義、「貼り紙」による犯人特定情報の伝播力、万引きを見せしめ的に吊し上げる社会的要請などが勘案されることとなろうが、当て嵌めの結論はさほど変わるまい。万引き「ごとき」とは言わないが、地域社会で晒し者にしてしまうことに正当な意義があるとは思われない。
3.おわりに
興が乗ったところで思うところを書いてみた。
被害店舗の気持ちは分からなくもないが、自らも社会的な合意に守られている以上、手続は守らなければならない。刑訴法、民訴法の手続に乗せるべきであって、私的に行きすぎるにも程がある、という結論である。
(弁護士 金岡)