本欄平成27年11月11日付け「無罪判決(しかし検察官控訴)」では、名古屋地裁の無罪判決が検察官控訴されたことを紹介した(その後、逆転有罪となり、現在は最高裁判所に係属中)。

さて、奇しくも同事案と同じ弁護人(当職及び事件を持ち込んできた二宮弁護士)、裁判体(名古屋地裁刑事5部合議、奥山豪裁判長)で、本年2月16日、無罪判決を得た(窃盗被告事件)。上記事案と異なり、検察官控訴なく確定したので、ここに本欄で紹介する次第である。

事案は、依頼者Aが、Bと共に2名(以上)で自動車窃盗を実行したというものであり、Aが実行犯であるかが争点となった。
検察官は、事件前のAの行動や、Bの行動から、間接事実を積み上げ、Aが現場に行き実行したと主張した。これに対し弁護人は、Bの行動と被害に遭った自動車の動きとは必ずしも整合せず、別の犯人を想定しなければ矛盾であること等を主張した。
裁判所は、Aが事件現場に向かうBの自動車に乗り込んだ「可能性が相当程度あることは確か」と述べつつ、確証には至らないことを丁寧に説明し、かつ、本件犯行が被告人でなければ為し得ない事情もない、等として、犯人性を認定しなかった。

弁護人として非常にやりがいのある裁判体である、ということができる。
Aが現場に向かった「可能性が相当程度ある」というのは、つまり、Aを犯人と見れば相当程度、辻褄が合うと言うことである(但し本件では、冷静に詳しく見ると、Bの行動と被害に遭った自動車の動きとが必ずしも整合しない点が残りはするが・・検察官はこれを軽視していたのだろう、整理手続でもほぼ無視していた)。
しかし、辻褄が合うだけでは証明がされたとは言えない。大阪母子殺害事件最高裁判決を踏まえれば、辻褄が合うかどうかではなく、Aが犯人でないとすると著しく説明不能な事情があるかが問われなければならない。
数多ある不当判決が、ここを弁えず、辻褄が合うから有罪だ、としてくることを思えば、「可能性が相当程度ある」だけでは足りないのだと、当たり前のことを当たり前に厳しく捉える裁判体は福音的な存在である。

かくして無罪判決を得た。
依頼者は本罪で1年10ヶ月ほど、勾留されていたが、集中審理に先立ち保釈され、そのおかげで、一緒に事件現場を歩き、説明して貰い、資材を調達して貰い様々な実験もできた(中には、強化ガラスを叩き割ってみるという、なかなか体験できない実験もあった)。現場を歩き、実験することは、血となり肉となり弁護活動に様々な示唆をもたらすが、依頼者が参加できてこそである。上手く回るときは上手く回ると言うべきか・・弁護人が奮闘するだけでは限界があるのだという当たり前のことも、今更にしみじみと感じる。

余談だが、「毎年」無罪判決を得ることは最低目標である。本年は2月で達成できたが、これに満足することなく、努めなければならない。次年度は複数、裁判員裁判が審理入りするのではないかとも観測される。また随時、色々と紹介できればと思う。

(弁護士 金岡)