さて、名古屋高判平成29年3月16日(高裁民事4部)の内容の紹介である。

事案は、裁決時点で婚姻期間7ヶ月・同居期間4ヶ月の日本人配偶者であり、両者間に子どもはない。退去強制事由は不法残留(10年超)及び他人名義の外国人登録カードの貸与を受けたことであるが、その他に、15年以上も前の退去強制歴1回がある。

1.退去強制歴、不法残留の長さ、不法就労の評価
第1審は、(1)退去強制歴と(2)不法残留、(3)その後の不法就労を合わせて「重大な消極」としたが、高裁判決では(1)「起訴もされておらず、しかも10年以上も前のことであつて、その後に数次にわたつて入国及び在留が問題なく許可され、韓国と日本とを行き来することが許されていたものであるから、それを今次の不法残留に当たつて問題視して取り上げることは相当ではない。」、(2)「控訴人のDV被害者に特殊な精神状態とその行動への持続的な悪影響を考慮すれば・・長らく法的に正しい対応が取れなかったとしてもやむを得ない面があった」「被控訴人が上記のとおり当然に重視すべき控訴人のDV被害の深刻な実態を敢えて見ようともせず、調べようともしていないことは、本件訴訟の原審における被控訴人の訴訟態度からも明らか」、(3)「就労の事実そのものを犯罪視することはできない上、実質的な違法性も低く、控訴人が本邦で日々の生活の糧を得るために働くこと自体は、人道上何ら非難されるべきことではない」として、第1審の評価を完全に否定した。
(1)は、私が複数の案件で繰り返し指摘していたことである。入管当局は、形式的に複数回目の退去強制になることへ厳しく対応していることが窺われるが、その後に適法在留に転じた経過がある場合等、いまさらそれを取り上げるのは如何なものかという感じざるを得ない事案が相当多い。現在の人道的配慮の要請を重視し、退去強制前歴の考慮に限界があることを論理的に示した好判断と言える。
(2)は、本件特有であるが、不法残留が長くなるにそれなりの理由があり、それも前夫のDV被害に起因するという、我が国が立法措置を重ねて救済に取り組むべきものであった。入管当局はこの点を調べもせず、と、高裁判決は批判しているが、同じ批判は第1審にも妥当する。第1審は「仮に・・DVや堕胎の強要といった、原告が主張する事情があったとしても」として、やはりこの被害事実に向き合わないことを宣言していたからである(このrhetoricは、考慮したふりをして審理不尽の批判を避けようと多用されるものであるが、子どもの言い訳じみている。考慮を要しないと思うなら、考慮を要しないから審理対象としないと、正々堂々と言えないものだろうか)。
(3)も重要なところである(本判決中では「人道上非難に値しないような不法残留中の就労」と総括されている)。名古屋高判でも、特定の裁判体で同様の指摘を繰り返した経過がある。口に糊する程度の就労が、人道的配慮を否定する要素になるなど、あってはならないことである。

2.他人名義カードの問題
第1審判決が「重大な消極」と断じたところである。
しかし他人名義カードの利用といっても千差万別であり、犯罪目的もあれば、無理からぬものもある。昨今の入管法改悪により、非正規滞在外国人は身分証を奪われ、医療機関を利用しづらくなったり教育機関から閉め出されたりと、歪みが生じている(日弁連や支援団体が種々の意見を表明し指摘しているとおりである)。
本件も、医療機関を受診するためやむなく、という要素が明らかであり、高裁判決は「利用範囲は限定的・・成り済ますとか、不当な利益を享受する目的で本件収受に及んだものではないことは明らかであり、その実質的な違法性は低い」「賢明なる検察官の判断により、入管法違反として起訴もされていない」と断じた。問われるべきは、在留させることの支障となるほどの違法性が認められるかであり、その「実質」や程度を丁寧に見ることが重要である。余りにも当たり前のことを述べただけの判決だが、しかしまだ貴重であるといえる。
なお、入管側は、依頼者がこの医療を受けることが必要不可欠ではない、故に身勝手ななりすましだと主張していたが、高裁判決は「(当該医療を希望することも)また通常のことであるから、被控訴人において、上記した控訴人の動機が身勝手なものであるなどと殊更悪し様に断罪しようとすること自体、著しく相当性を欠く」と断じている。

3.婚姻の要保護性
第1審判決は、不法の上に築かれ期間も短いと評価し、要保護性を否定した。
これに対し高裁判決は、「もとより、婚姻関係の在り方は多種多様であって、単に法律上の婚姻期間や同居期間が短い等の見地のみから、機械的、硬直的かつ表層的に夫婦の在り方を観念し、そのような観念に基づき夫婦関係の安定性や成熟性を問議することは相当でない」とした。
これまた当たり前なのだが、自信を持って、こう言い切れる裁判体はまだまだ少数にとどまるだろう。近いところでは京都地判平成27年11月6日が、同居できたかも知れないが別居も合理的選択であるとして、別居事実を夫婦実体を損なうものではないとしているが、このような裁判例を粘り強く取り上げていかなければならない。
本判決は結論的に、「婚姻に至るまでの長い経緯やその真摯な夫婦関係の実質を見ようともせず、単に法律上の婚姻期間や同居期間の長短のみでしか夫婦関係の安定性や成熟性を考慮せず、控訴人を韓国へ帰国させることによる控訴人と夫の不利益を無視又は著しく軽視し」とした。中年以上の夫婦のみの事案は、子どもが生まれるような若年夫婦の事案と異なり、なかなか苦戦が続くが、夫婦のみだからといって人道上の配慮の必要性が低くなるわけではない。ということも、確認されていると言える。

4.同日付け名古屋高判(民事1部)との比較
なお、前稿で紹介したとおり、同日付けでもう1件、有力な事案で控訴を棄却されている(永野圧彦裁判長)ところ、その内容も紹介しておきたい(断じて上告する、故に未確定であるが、本コラムの趣旨から必要な範囲でだけ、取り上げたい)。
こちらの事案も、夫婦のみ、退去強制前歴あり、刑事罰なし、という共通性があるが、裁判所いわく、「不法就労助長により刑事罰を受けたか否かによつて変わるものではなく、不法就労助長の事実を消極要素として重視してはならないということにはならない」「永住許可を受けたことにより、過去の退去強制処分歴が一切不問になるわけでもなく、これを今回の在留特別許可の許否の判断に当たり消極的にしんしゃくされることはやむを得ない」等とする。民事4部との懸隔は明らかであろう。その実質を見ることなく、問題行動があったかだけを問題とする愚を犯し、人道的配慮の欠落に気付こうともしない。
更に、「控訴人と夫との婚姻関係が一定程度安定かつ成熟したものとして、控訴人に対する在留特別許可の許否の判断において,積極的にしんしゃくされ得る一事情であるということができるとしても、控訴人に認められる消極的要素を上回る事情とまでいうことはできない」という。理由も何もない。どうしてそういう結論(評価)になったのか読み取れない(司法試験で、規範抜きに自分の価値判断だけ垂れ流しても、合格できない。つまり、この判決は「落第答案」であること間違いなしである。)。裁判官の独立は、見識を備えていてこそであり、その恣意、わがままを保障する制度ではない。読んでいて虚しくなる。
同じ日、同じ高裁で出された判決が、180度正反対であるということに、一方の家族は納得できるだろうか。

(弁護士 金岡)