3月は本欄の更新回数が多い。
個人的には、那覇地裁内外から市民の抗議活動の状況が撮影されていたという問題(沖縄弁護士会長の本年3月21日会長談話)も取り上げたいが、まずは昨日の不本意な判決を取り上げたい。

黙秘が不利益事実の推認を許さないことは憲法上の保障である。
しからば、黙秘ではなく「不合理な否認」は不利益事実を推認させるのか。
このことは刑事裁判上で有名な問題であり、関連する論考もあると承知している。

例えば、初期の裁判員裁判で無罪となったことが知られている鹿児島地判平成22年12月10日は、(被告人が被害者宅に行ったか)「に関する被告人の供述が嘘であることは明らかである。・・供述内容に不自然な点がある上,逮捕前に携帯電話の発着信履歴等のデータをすべて消去するという不可解な行動に出ている。しかし,嘘をついた理由が,本件犯行と関係するのかどうかすら解明できていない以上,嘘をついている一事をもって,直ちに被告人を犯人であると認めることはできない。」としているし、当コラムでも紹介した名古屋地判平成29年2月16日も(やや異なるが)被告人の行動が不自然であるからと言って事前共謀が証明されるわけではない、とするように、この点は、不合理な否認がそれだけで不利益事実の推認に結びつくものではないとする見解が当然であろう。

不合理な否認、要するに嘘は、何かを隠したいものだが、その「何か」が何かは、決めつけるのが困難で、検察官の主張する事実関係がその「何か」かもしれないけれども、それ以外の「何か」を隠したくて嘘をついているだけなのかもしれない(そして、それ以外の「何か」が何かを言う義務もない)からである。犯人にされたくなければ、その「何か」を言えないのはおかしい、という考え方は、無邪気な一般常識としてはありうるが、刑事裁判上は否定されるべき考え方である。「その何かを言えないのはおかしいから検察の主張する事実関係が証明される」とするのは、上記の通り多様にありうる「何か」の、他の可能性を否定するという論理則違反があるうえに、黙秘権保障に反するからである。

さて、問題は昨日の判決である。
その判決では、被告人が持ち物「A」を「A」と理解していたか、「B」と思っていたかが争点であった。被告人は、Bと思い拾得したと主張し、検察官は、拾得の主張が不合理だとした上で、Aの用法に沿って用いているからAと知っていたはずだ、という(なお、Bの用法としても問題ない用法であった)。

これに対し判決は、Aはあまり流通していない法禁物だから、宙を飛んでくるわけもなし、通常は意識的に入手したに決まっている、とした上で(なお、Bも法禁物であり、あまり流通していない)、被告人の主張は信用できないから意識的に入手したものであり、Aと知っていた、と断じた(判決文未入手であり要約であるが、「宙を飛んでこない」限り意識的に入手しなければならないという暴論には恐れ入った)。

検察の斜め上を行く(但し弁論では意識的に牽制してあった)誤判である、と言わざるを得ない。
Aは法禁物であるが、例えば被告人が知人からBとして貰い受け、その知人をかばうために拾ったと主張している「のかも」しれない。Bとして買ったらAをつかまされたのかもしれない。Bとして拾ったという話が嘘でも、だからAとして入手したという事実を推認させるわけではなく、Bとして入手したのかもしれない、という可能性はある。そして被告人に、それをいう義務はない。
この裁判官は、噓つきは(検察官の主張が正しくするという次元をさらに飛び越え)有罪である、という経験則をお持ちなのだなぁと感じる。刑事裁判の基本から勉強し直していただきたいものだ(さもなくば裁判にかかわっていただかない方向でお願いしたい)。

(弁護士 金岡)