「感動のノンフィクション」「史上最長のスタンディング・オベーション」等と帯で宣伝されていたので少々、敬遠していたが、ようやく読み始め、一気に読み終えた。
感想を書き連ねるより、幾つか書き抜いて紹介に代えようと思う。
政策や規範が黒人を規制し罰しようという方向ばかりに向かうと、その傾向が刑事司法制度全般に入り込んでくる(212頁)。
身体的な障害には配慮の方法が無数にある。・・ところが精神障害は目に見えないため、助けが必要だとしても無視して、彼らの欠点や過ちを即座にためなものと判断しがちだ。・・責任能力の程度を鑑定した上で量刑を考えなければ公正とは言えない(264頁~)。
誤って殺人罪で有罪とし、彼がしてもいないことのために死刑囚監房に送るのはあんなにたやすいことだったのに、彼の無実を証明して釈放を勝ち取るのはこれほどまでに難しいことでした(298頁)。
悪い母親をめぐるヒステリーのせいで、マーシャ・コルビーの裁判の公平性を保つのはとても難しくなった。陪審選定のときも、多数の候補者がコルビーを公平な目で見ることはできないと宣言した。・・こうして選定された陪審が、マーシャ・コルビーの裁判に数々の憶測や偏見を持ちこみ、彼女の運命を決めることになったのである(311頁~)。
何十年も経ったいまになって、私もようやく理解しはじめた。子供たちの代理人として訴訟の準備をしていると、彼らがどういう生育環境に耐えなければならなかったかつまびらかにしないかぎり、そうしたショッキングで無分別な犯罪を本当の意味で評価することはできないとわかる。・・(Brief of Petitioner,sullivan v. Florida, U.S.Supreme Court(2009))・・こうした生物学的、社会心理学的発達過程を見れば、十二歳から十四歳ぐらいの若いティーンエイジャーには、大人ならすでに獲得している人間的成熟、自立性、未来を見越す力が欠けていると説明がつく(352頁~)。
(弁護士 金岡)