周辺でちょいちょい言われる言葉だが、要するに裁判員裁判のせいで通常事件の審理が窮屈・変則・先送りになるということである。「そこから3週間は別件の裁判員があるので差し支え」等というように。
裁判員裁判であれ、通常事件であれ、連続的開廷が刑訴法上、努力目標とされているが、整理手続に付され余程長期化している事案なら別論、そうでもない限り、公判は依然として五月雨式である。その五月雨っぷりは、ややこしい裁判員裁判が割り込むと拍車がかかる。
先だって、検察側証人1名の尋問を決めるのに、一月半くらい先でどうかと提案したところ、7月上旬は検察官が裁判員、7月下旬からは裁判所が夏休み・・じゃあ8月下旬でどうだとなると、今度は私が裁判員、等々と、あれよあれよという間に、なんと9月中旬まで延びてしまった。
幸い、勾留却下で釈放されている依頼者は我慢してくれ、事なきを得たが、これが身体拘束中で(無罪を主張しているのに)「4ヶ月待っていて」では話にならないだろう。実際、(今回は私にも責任の一端があるが)「裁判員日程の犠牲になって審理が遅延しているので保釈を」等と考慮要素に掲げて迫ることは珍しくない。
裁判員制度を上手く回さなければならないから、審理日程は最優先で優遇し、不測の事態が生じないよう波乱の芽は神経質なほどに事前に詰む、というのが、未だに裁判員裁判の実務である。防御権が侵害されないなら迅速円滑は結構なことだが、しばしば防御権が害される(例えば審理入り後の追加立証は殆ど許容されないと言って良い)(大体、ほぼ全件で予定された日時に判決が言い渡せるというのもおかしな話なのだ)上、過剰なまでの審理のための地ならし(あらゆる同意証拠が全て撤回され作り替えさせられていく)が行われ、果ては細切れで休憩が挟まれ、その限りでは中だるみする・・という実態において、被告人に目は向いているのだろうかと疑いたくもなる。
もし今回の件が身体拘束中の事件であったら、被告人に我慢してもらおうとは到底ならないから、弁護人だけは分からずやに振る舞わなければならなかったろう(ある意味、本懐であるが)。
「裁判員裁判の抗弁」なんて言い回しができるくらい、おかしな事態なのだ。
(弁護士 金岡)