本欄を目にする方の多くには言うまでもなかろうが、捜査官の作成する供述録取書は公判での攻防を見据えると百害あって一利なしというのが私の持論であり、刑事弁護実務家にもさしたる異論無く一致を見るところであろうと思う。万全の状態で自ら作成してすら、後から見て訂正を要する場合は多々ある。まして「敵方」に作らせては目も当てられないこと請け合いである。
従って、刑事弁護実務の初歩の初歩として、依頼者が間違っても供述録取書等の作成に応じないよう、適切に助言支援する技術に習熟する必要がある。ここに意を用いない弁護活動はそれだけで弁護過誤と言って差し支えない。
他方で、具体的状況下で、どうしても供述録取書等の作成に応じなければならない(応じた方が相当得策)ということは相当例外的ではあるが生じ得る。
その典型は、身体拘束対策であろう。調書作成に応じないことが「真の言い分を隠している→隠しているからには何か罪証隠滅をしかねない→捕まえておこう」、という病的な思考を持つ一定数の裁判官がいる現実を前にすると、作成に応じることで身体拘束を避けることには(病理現象ではあるが)一定の合理性があると言わざるを得ない(勿論、調書作成に応じない理由を正しく理解し、身体拘束の理由に用いない思考の裁判官も多数おられるだろうし、その趣旨の裁判例もある。要は、現状やむを得ない危険性回避の問題である。)。
故に、特に在宅事件では、この相克の悩みは深い(弁護人が立ち会えれば、相当部分解消する問題であり、故に私が立会権の確立を実践しているわけである)。
つい先日も、相対的・優先順位的に、調書作成に応じざるを得ないと判断される事案があり、諸事情により「電話による助言」対応方針としたのだが、煩わしいこと、この上ないものであった。
依頼者がノートに調書内容を書き写し、電話報告し、それに対し助言し訂正点を持ち帰らせ、取調室で依頼者が訂正を要求、取調官がはねつける、依頼者がまたも電話してくる、という循環が延々と続くのである。・・それにしても、「この部分の訂正には応じられない」という警察官の違法な自信はどこから出てくるのだろうか?被疑者名義の文書を「代筆」しているだけの彼らが、なぜ名義人の訂正要求を拒めると思うのだろうか。刑訴法198条4項・5項を知らないのだろうか。
時間がかかって被疑者の主張が歪曲されるだけの供述録取書等という制度を、はやく撤廃すべきだと思う。これこれの容疑について言い分を聞きますよ、というインタビューを録画すれば、ものの半日もあれば全部終わるだろうに、と思う(勿論、供述証拠化権は被疑者に委ねられるべきであり、被疑者に録画拒否権を認めるべきは当然である)。
(弁護士 金岡)