大阪高判平成29年7月6日(裁判所HP)は、実に琴線に触れる事案である。
事案は、第1審において検察官が被害者参加人による被告人質問の許可を申し出た際に検察官の意見を付し忘れたまま被告人質問が許可されたところ、公判手続調書に「検察官は許可相当と思料します」との意見が付されたとの記載がされていたため、同審弁護人が当該部分が正確でないとの異議を申し出たが、同異議の処理を行う手続調書に、「検察官から許可相当の意見が明確に述べられ、それを裁判官及び書記官が共に確認している」との裁判官意見が付されたというものである。
控訴理由には、手続違反のある被害者参加人による被告人質問が量刑資料となっていることを法令違反と捉えたものが含まれているが(原審弁護人が許可に対する異議を述べていないことも踏まえると少々無理があると思われる)、これに対し高裁は、原審検察官が明確に意見を付さなかったと認めていることを控訴審の審理で確認した上(検察官が真実を報告した書証が取り調べられた)、そうするとどうして、公判手続調書や一体となる異議申立調書に正反対の経過が記載されたのかを検討し、前者はともかく後者については、「原審担当裁判官が、敢えて事実と異なる意見を記載した可能性」が排斥できないとした。
そして、そのような裁判官が手続を主宰したことは裁判の公平性に疑念を抱かせ、破棄事由たる法令違反であると結論づけた。
裁判官が事実と異なる内容を手続調書に記載させることは、虚偽公文書作成・同行使に該当する、犯罪行為である。慎重な審理の末、その可能性を認定したことは、なかなか踏み込んだ判断であると言えよう。
そして、この判断が私の琴線に触れた理由であるが、このように公判調書の記載が事実に反すると疑われる場合は、弁護士として何度も経験しており、都度、異議を申し立てているが、いっかな通ったためしがなかったからである(なお、記憶する限り、当該審級で異議申立をしても通らなかったという経験ばかりあり、それを更に上訴審で問題としたという記憶は無い)。
ひどい時には、こちらの録音データ(法廷を録音することは、基本的に行わないが、異常な訴訟指揮が敢行されると予想される場合は、自衛手段として録音することが有り得る。尤も、弁護士会が非公開の調停手続を録音した弁護士を懲戒処分にした出来事もあり、本当にやむを得ないと証明できる場合に限定されるし、また、録音したとしても実際に表に出せるかは別問題である。)から明確に「嘘」と断じられる公判調書に異議を申し立て、あからさまに逐語的な録音反訳を掲載したにもかかわらず、異議には理由がないとして排斥されたこともある。
以上のような経験を通じ、私は、裁判官も時として嘘をつくということを知っている。
それが異議申立を認容させるに至らないのは、主立った証拠方法を裁判所側が握っており、他方でこちらは、録音するにも勇を鼓す必要があり、録音しても表に出すには更に高い壁があり、つまり証拠方法の偏在がある(そして証拠を強制的に出させる方法は無く、後ろめたければ有無を言わさず隠滅される)からに他ならない。
前記の事案でも、こちらには録音があり自信があっての異議であったが、裁判官は「録音を確認したから裁判所の調書で間違いありません」と言い放ち、じゃあ録音を開示しろと迫ると「確認したので消去した」という、子どもでも言わない強弁を繰り返したものであった。
大阪高裁の事案も、「10月7日(の許可当日)から12月6日(の異議申し出)まで」の間に「業務用端末の更新作業」が行われ消去されたと言うことで、録音データは遂に提出されなかった。特に問題のない公判の録音はどんどん消去されていくようであるから、2ヶ月の間に消去されたというのは(端末の更新とか言われると途端に胡散臭くなるが)真実かも知れない。しかしいずれにせよ、録音は出てこず、控訴審での検察官の調査と、裁判所側の主張が180度対立する始末なのである。
大阪高裁の事案は、幸いにも検察官が真実を述べたため、原審裁判所側が追い込まれた。検察官の公益の代表者性の面目躍如であろう。しかし、もし検察官が「その通り、明確に意見を述べました」と調子を合わせれば、被告人側になすすべはなかったであろう事も事実である。
色々と幸いした、と言わなければならない。
この事案は、歴史的と言うべき価値がある。
裁判官や書記官も人間であり、失敗を露呈させないため、嘘をつく可能性がある。場合により、肝心の録音も消し去るであろう。それ自体を防ぐことは出来ない(録音体について保存期間を法定することに意味はあるだろうが、それでも、まずい事案の場合、なぜかなくなること請け合いである)。
証拠の偏在も踏まえ、謙抑的な事実認定により、利益原則と手続的正義を譲らなかった大阪高裁の栄誉は、讃えられるべきである。
(弁護士 金岡)