原発ADRの設立当初、東電はADR機関の和解案を尊重すると公言し、東電が和解案を拒否しようものなら報道の対象となっていたほどだった。設立から数年を経て、和解を拒否する事例が増加していると指摘され、このほど、地裁レベルで司法判断も出始め、いよいよ、その傾向が顕著のようだ。
遂に、手持ちの事件で和解案を拒否される展開になった。

原発事故賠償は、かなり特殊な取り決めを理解する必要がある上、名古屋に居る限り非日常の依頼者の経験を十分理解しなければならないため、なかなかの負担である。せいぜい数件でも、そのように感じるところである。

かつてAさんの案件で、平成27年3月まで慰謝料合意が成立するという経験をしていた。その同郷者で、単身赴任になったAさんと違い家族ぐるみでの避難であるが、Bさんの事件でも同様の理屈から平成27年までの慰謝料を請求し、ADRからは同年まで慰謝料を認める和解案が提示されていた。
しかるに、東電は、「平成27年までの被災による減収は不承不承賠償するが、慰謝料だけは平成24年8月までしか払わない」という、意味の分からない対応で、実に和解金の半額を拒否する対応に出てきた(減収を賠償するなら、そのような生活を強いたことの精神的苦痛も賠償するのが筋合いであろうに)。

ADRの和解案を尊重し、迅速な被災者の救済を図るという往時の殊勝な態度はどこへやら、である。悪質な開き直りである。
思えばAさんの案件でも、以前は文句なしに被災者と扱っていた(原発事故のために事業所が閉鎖となり、空きのある支店のある当地に異動させられた)のに、最近になり、「放射能から逃げてきたわけではないから通常の単身赴任だ」などと、全く話にならない開き直りに転じてきている。
事故から時間がたち、反省が薄れている(というより、もともと反省などしていなかったのだろう。世論に阿り殊勝にして見せ、公金をまんまとせしめ、事件が風化し始めたら袈裟の下から鎧を出し、開き直りに転じた、というのが実相と思われる。)。
極論を唱え、とりつく島もなく、「文句があれば訴訟にしろ」と言わんばかりである。
司法判断がADR機関ほど被災者に向いていないことも、この開き直りを助長しているのだろう。故郷を離れ、それでも生活していかなければならない以上、なにかしらのしがらみは増え、戻る戻らないの判断はどんどん複雑になる。それだけでも、幅広く被災者の立場に寄り添うべきだと思うが、どこで歯車が狂っているのだろうか。その立場に我が身をおいて考えてみる、ということすらできないとは。

おそらく近いうちに、何件か、東電相手に提訴することになるだろう。
司法判断については、東電の方が情報戦で優位であることは否めない。これから練り込んでいかなければならないだろう。

(弁護士 金岡)