「最近、最高裁は変わった」とか「最高裁はおかしい」等という評価は、現在進行形で経験している限り、的確に下すのは難しい。刑事裁判の領域でも、業界的に極めて好意的に受け止められている最高裁判例は昨今、十指に余るかはともかく片手の指よりは多かろうと思うが、それはそれとして、沈黙を決め込むものはもとより、碌でもない判断も多いのだ。

さはさりとて、注目していた幾つかの事件で相次いで首をかしげるしかない最高裁判例が相次いだことは、なんだか傾向的だなぁと感じるところがある。

まずは「厚生年金保険法(昭和60年法律第34号による改正前のもの)47条に基づく障害年金の支分権の消滅時効の起算点」の最三小平成29年10月17日判決と、NHK受信料を巡る本日の判決である。
後者は、受信料契約の成立は、受信者が任意に承諾しない場合、承諾の意思表示を命じる判決が確定した日であるとし、その上で、受信契約者は規定上、受信機設置の月以降の受信料支払い義務を負うとし、更に各月の受信料債権の消滅時効については、NHKは受信契約成立前は受信料債権を行使できないのだから、受信契約成立日(つまり承諾しない受信者の場合は判決確定の日)からしか進行しないとした。
他方、前者は、障害年金の裁定を請求しない間も各月ごとの障害年金請求権は時効消滅するかについて、「受給権者は,当該障害年金に係る裁定を受ける前においてはその支給を受けることができない。しかしながら,障害年金を受ける権利の発生要件やその支給時期,金額等については,厚生年金保険法に明確な規定が設けられており,裁定は,受給権者の請求に基づいて上記発生要件の存否等を公権的に確認するものにすぎない」から、要するに裁定請求さえすれば支分権の行使が出来たのだから、裁定請求して裁定を受けていなくても支分権の時効が進行するとした。

民法上の高度の議論は手に余るし、こじつけようと思えば両事案に差異を見出すことは可能なのだろうけど、一見して違和感がある。障害年金裁定が支分権を公権的に確認するものに過ぎないなら、NHKの受信契約締結承諾請求訴訟も、放送法上の契約承諾義務を公権的に確認するものに過ぎないだろう(なにしろ法律上の承諾義務なのだから)。受信契約締結承諾請求権を行使せず放置していたNHKは救済され、障害年金裁定を行わず放置していた障害者は救済されない。公営放送は守り、福祉給付を受けるべきものは切り捨てる姿勢がある、というと言い過ぎになるだろうか。

どうしても思い出されるのは、全然別の領域だが、最一小平成28年4月21日判決である。裁判所HPの要旨で言えば「国は,拘置所に収容された被勾留者に対して,その不履行が損害賠償責任を生じさせることとなる信義則上の安全配慮義務を負わない。」という目を疑う判断である。
強者が弱者を、特別権力関係的に管理し、一方的にあれこれ強制し不自由を強制しておきながら、その安全(生命身体から財産に至るまで)に配慮する義務を負わない、というのは、安全配慮義務という概念が必要になった議論過程に根底から反する、と思う。現にジュリスト1505号で、北居功氏が、「本判決に対する一つの疑念」として、「我が国の安全配慮義務法理は、生命身体侵害での我が国の不法行為法の不備を、ドイツ法とは違った形で補完してきたのではないか」と鋭く指摘されている(74頁)。

無理が通れば道理が引っ込むというが、どうしても、強者に阿り弱者を切り捨てる姿勢が目につくなぁと、思うのである。

(弁護士 金岡)