【反対尋問を避けるために他の方法があるか】

前稿(2)で、反対尋問に入ること自体が間違いであることが確認できた。
そして、後藤弁護士は、それを避けるには辞任しか方法が残されていなかったと意見されている。私も全く同感である。事前に展開予測した結果、最も合理的な選択肢が辞任であることは既に結論づけて期日に臨んだのだから。

今回、処置方向に持って行かれかけた中で、「他にどうしろというのか」ということは繰り返し、方々に問いかけ、また自問自答もした。
結果、辞任に勝る手段は見出されなかった。
本稿では、そのことを述べていこうと思う。

【鈴木典行調査部会員の選択】

調査部会の事情聴取の中で、反対尋問入りを避けるという選択を非難する声は聞かれなかったと記憶する。

中でも記憶にあるのは、鈴木典行弁護士の発言である。
同弁護士は、要旨、「僕だったら、辞任はしないかな。整理手続が終結するまで付き合って、公判には出頭しないとか・・。」と発言された。

期日変更請求が却下され、引き続く公判に出頭義務を負った状態で、これを無視して不出頭を決め込むことと、反対尋問に入らされることを良しとしない=そのような公判審理に責任を持てないので、これを宣明し以て出頭義務自体を免れるべく辞任することと、どちらが勝るのか。
少なくとも、故意に出頭義務違反を敢行する方が勝る、という理屈づけは見当たらない。と思う。出頭義務違反を是とする方に、出頭義務を免れるための辞任を非難される謂われはない。

【舟橋直昭委員長の説明】

これに対し、あらすじで説明したように、「反省」すれば処置不相当に持って行くという取引を持ちかけてきた舟橋直昭委員長は、御自身、どのように振る舞われるというのだろうか。
持ちかけられた取引の場で、直接質問をぶつけたところ、次のように答えられた。

「反対尋問を出来るところまでやって、裁判所に続行期日を求める。」
(続行期日を拒否されたら?)「じたばたする。」

・・・・・私は、この説明を聞いて、嗤いを堪えられなかった。
第一に、反対尋問を小出しにするという時点で、無責任きわまりない。そのことは前稿で十分に論じたが、反対尋問の本質に反するのだ。舟橋直昭委員長は、(計画的に展開させる)刑事弁護の経験に乏しいのだろうと推察されたし、その方を講師とする研修を受ける受講生には正直、同情しなければならないだろう。言行不一致の研修ほど、虚しいものもないのだ。
第二に、裁判所が続行期日に応じるという楽観を前提に弁護計画を組み立てるという恐ろしさである。本件のような状況下で反対尋問を強行させる裁判所が、結局のところ審理計画を狂わせる続行期日に応じるなどと言う楽観的な見通しは正当なのだろうか。少なくとも、そうならない場合にも対応できる戦略を携えて初めて、許される楽観だろう。
で、「そうならない場合」=続行期日に応じてもらえない場合、つまり「反対尋問を続けないなら反対尋問は終わり(機会は十分与えた、放棄したのは弁護人)と言うことに扱いますよ」と訴訟指揮された場合、舟橋説によれば「じたばた」するそうだが、それで事態が改善するとは思えない(というか「じたばた」ってなんだろう?)。「じたばた」したとして、もう一期日、尋問する機会が与えられないとすると、つまり裁判所が当該証人を呼んでくれないのだから、積み残しの反対尋問を実施する機会は永久に巡ってこない。そのことが防御に与える不利益は、どう解決されるのだろうか。

これに対し、辞任により反対尋問を丸ごと先送りすれば、検察官立証のため、確実に証人と相まみえることが出来、確実に反対尋問をやりおおせる。こうする以外に、確実に反対尋問を尽くせる方法など、ありはしないことが、より明確になったと言える。

【調査部会の「助言」案】

では「期日変更却下への異議や忌避申立などの手段を尽くすべきだったという助言を行うべき」という調査部会案はどうだろうか。

端的に言えば、これら手段を尽くすことは、実務的に考えた場合、手続に痕跡を残す以上の効果は望めないだろう(手続に痕跡を残すことは、上訴審で意味を持ち得るが、しかし反対尋問が成功していないとすると、その前提で強いられる上訴審で凱歌を上げられるかは、それもまた楽観論に過ぎよう)。
前出後藤意見書も、「仮に忌避申立をしたとしても、簡易却下されることは目に見えています」と述べている。
失礼を承知で言えば、調査部会の面々の誰よりも、私は、異議を申し立て、忌避を申し立て、生きてきたという自信がある(そして、期日において即時判断される類の異議については、過去3度ばかり認容された経験があるが、忌避についてはからっきしである)。その経験を通して得たことと言えば、異議や忌避を陳述中に、裁判所は裁判所で更なる強硬措置に出得ると言うことである。もし辞任しか手段がないと考えた場合、手続に痕跡を残すことと両睨みで、迅速果敢に行動に出ることも重要だと考える。手続に痕跡を残すこと自体は悪い発想ではないが、それ自体を目的化することは自己満足に過ぎず実践的ではない。

調査部会案に申し上げなければならないのは、「異議を申し立てました。棄却されました。忌避を申し立てました。簡易却下されました。」それでどうなるの?ということである。彼/彼女らからは、依然として、これに対する回答は頂けていない。手段が尽きたあとは、屠畜場に送られる羊よろしく、うなだれて公判に臨むのだろうか。それでは、自分は格好をつけるだけつけて楽かもしれないが、依頼者はやはり救われない。

「助言」とは、それを活かし、よりよい結果を産めるものでなければならないと思うが、今回の場合に、こと間違いなく反対尋問権の全うには役立たない異議や忌避を申し立てるべきとの助言を、どう活かしたら良いのだろうか。活かしようのない「助言」を頂く謂われもないのだ。

【弁護士会への要望】
弁護士会は、こういった局面に立ち入った場合、どうするかについて、議論し、明確な結論を出し(連載の冒頭で述べた、刑事弁護委員会への不満の一つは、この点について結論を出せていないことである)、そして、それを行動に移すことの出来る刑事弁護士を養成すべきと考える。そのことは、中間的には裁判所との軋轢を大きくするだろうが(「弁抜き法案」への恐怖心については、後述したい)、最終的には刑事弁護を活性化し、より適正な、緊張感の保たれた刑事裁判の実現に資するだろう。

間違っても、(誰とは言わないが、)
・ 弁論を構想しきることなく反対尋問を小出しにする弁護士や、
・ 続行期日をもうけてもらえるなどと言う根拠のない楽観に基づく弁護士、
・ 案に相違して続行期日が認められない場合、「じたばた」するだけの弁護士、
・ 手続の痕跡を残すこと自体を目的化してしまう弁護士、
を養成してはならない。そのような弁護士を養成する機関とは、金輪際、お付き合いは御免被りたい。

(弁護士 金岡)