「黙秘権が尊重されない名古屋高裁」に続き、今度はつい最近の事例から名古屋地検の対応を取り上げてみよう。現実を知らしめることの有益さは言うまでもなかろう。

種々の検討を加えた結果、依頼者は携帯電話を持ち込み弁護人との連絡に備え、弁護人は黙秘権行使を指示した上、10分おきに様子を確認する電話を入れる、という態勢で依頼者を守ることにした(無論、在宅案件である)。

さて、10分×2で黙秘権を行使しても、検察官は取調べを止めようとしない。
やむなく直談判に及び、「黙秘権行使の意思を確認したら、それ以上の取調べは不当」と指摘したところ、「それ以外にもやることがある」という。なんだと聞いたら「人間関係を作ること」というのである。
可視化を嫌がる取調官の戯言の一つとして、「腹を割って話せなくなる」「人間関係が作れなくなる」というものがあるが、この時代にして、これである。黙秘権行使を続ける依頼者に対し、自分の郷里がどこどこだとか、自分は敵ではないとか、弁護人ではなく自分で決めろと諭すことの、どこがどうなれば、人間関係の形成に繋がるのか。仮に人間関係の形成に繋がるとして、黙秘権行使を断念させることに向けられた人間関係の形成とは何なのか。情に絆して口を割らせるような、悪しき捜査手法を、おそらく経験年数10年に満たないであろう若手検察官が駆使しているとは、なんとも情けない事態であった。

10分×4回目に及び、その日はそこで取調べを打ち切りとし、他日を期すこととしたのであるが(こちらが打ち切りを宣言しなければ、まだ何十分かは続いたのだろう)、40分、黙秘権を行使する依頼者を前に一人語りを続けた検察官は、憲法・刑訴法上の黙秘権保障をどのように考えておられるのだろうか。
かの「検察の再生に向けて」では、「より高い倫理と品性を身に付け,謙虚な姿勢を保つべき」ことが謳われているが、40分、黙秘権を行使する依頼者を前に一人語りを続け、弁護人との離間を謀るような検察官に「高い倫理と品性」があるだろうか。また、「取調官が自白を求めるのに熱心なあまり過度に追及的になったり,不当な誘導が行われたりして,事実とは異なる供述調書が作成される結果となる危険性も内在する」(前掲「再生」)のに、口を割らせることに執心するというのはどういう了見なのだろうか。
弁護人がすぐそばに控え、携帯電話で密に連絡を取り合っている案件ですら、これである。身柄が取られ、殆ど弁護人不在の状況が続く事案で、何が行われるのか。推して知るべしであろう。

前掲「再生」は、「検察が21世紀の価値観を感得し」と謳うが、現実は、若手にして、昭和年代の警察さながら、である。

(弁護士 金岡)