「獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代 (道新選書) 」を読んだ後に、全くの偶然に、件名の書籍を読んだ。
戦中の京都で文芸活動を治安維持法に問われた著者が、判検に被疑者自身まで加わって事件を作り上げていく経過や被収容生活を淡々と綴ったもので、内容自体も興味深かった。北海道史に残る「獄中メモ~」で取り上げられている事件と余りに酷似していることには驚かされた(まさに国策とはそういうものなのだろう)。
また、1970年代に書かれた本書が、共謀罪(後掲「150頁」)や9条改憲(後掲「214頁」)のにおいをかぎ取っていることにも驚かされた。40年を経て、においどころか、現実のものとなったことは、歴史に学ばぬ愚かさ極まれりというところか。
温故知新というが、知らないでは済まされない。屈辱的な受難を書き起こした著者や、精力的な取材者には敬意を表したい。
(件名書籍より引用)
150頁「私は潜在意識によって罰せられることになった。人を殺した夢をみたからといって、刑罰をうけた人のことを、私はきいたこともよんだこともないが、昭和の聖代において、潜在意識の中に共産主義社会の実現という観念がひらめいたかも分らんといっただけで罰せられる。一体何ということだろう。」
214頁「あのひどい時代へ、日本を逆行させようという努力が、最近、かなり顕著に実を結んできたことに、私は気がつき出した。国民の大多数は戦争をきらっているし、警察官や官僚がいばるのは御免だと思っているのに、奇妙な世論がつくり出されて、日本を逆行させようとする勢力は、ますます力づいている。戦後十三年、今日ほど憂慮すべき時代は今までになかった。勤務評定と警職法をめぐっての新聞記事を毎日よみながら、私はそう思わずにはいられない。はるか遠くに過ぎ去ったはずの私の受難の物語りが、急に現実性をもち出したように思えて、・・」
(弁護士 金岡)