昨日付け本欄で、不透明なまま不利益処分がどんどんと進んでいく恐ろしさを指摘したが、それを受けて書こうと思い立ったのは、常習的連続的な窃盗事犯の可能性があると裁判所側の認定する被疑者が、20日満期で逮捕勾留されること5回、6回にまで及んだ、とある事件のことである。

例えば、A日に3件の連続窃盗、B日に2件の連続窃盗の容疑がかかっているとして、A1で逮捕勾留→20日勾留で処分保留→A2で逮捕勾留→20日勾留で処分保留→B1で逮捕勾留(以下略)と、処分保留にしては逮捕勾留を繰り返す、という手法である。
事件単位で1事件最大20日勾留が認められているとしても、総論部分で共通性があれば、その分の捜査はまとめて行われるわけであるし、現在A1で逮捕勾留中だからB2事件の裏付け捜査は一切やりませんよという筈も無く、実質的に重複して捜査が同時的に処理されていることは火を見るより明らかなのに、名古屋地裁は、ひたすら20日満期の勾留を認めること5回、ついにビタ一日たりと、勾留は抑制されなかった。
最初の方こそ、捜査機関の遣り口が汚い、という頭でいたが、途中で、全く同じ勾留延長理由が別事件にも使い回されるという珍事にまで遭遇し、寧ろ問題は裁判所の方にあるな、ということを痛感した。裁判所の意識が余りに低いので、捜査機関がそれに付け入っている、という構図とみる方が正確なのだろうと。
現に、幾ら準抗告を申し立てても、抽象的な延長理由が説明されるだけである。逮捕勾留が繰り返されるということは、後ろの方の被疑事件に行くほど、事件発生から相当間が開くことになるが、相当間が開いていただろう間に延長理由とされた当該捜査が尽くせなかった具体的理由など、一度も説明して頂けないまま、「やむを得ない」不利益処分だけが課され続ける。
不利益処分を受ける側のことを考えるだけの度量があれば、仮に不利益処分に及ぶにしても、できるだけ具体的に理由を説明すべきだろう。それをしようとすら思わない大多数の裁判官は、故に、不利益処分を受ける側のことを考えるだけの度量を持ち合わせていないと言うことになる。率直に言えば、被疑者側からは、裁判所は法律を守らないところだとしか映っていない。裁判官は、自らの杜撰なまでの不透明さが不満を呼び、負の連鎖に一役買っていることを知っておくべきだろう。

ところで、話題を戻すとが、このように処分保留・再逮捕を繰り返す手法については、余罪の同時処理義務の問題として論じられていることが知られているが、やはり手続的にきちんとした抑制装置を備える必要があると思われる。裁判所は、よほどのことが無い限り事件単位的な考えを優先する感があるが、比例原則の見地に立てば、どうしても避けられない場合に初めて必要最小限度の強制処分が正当化されるわけで、例えば「A1事件の勾留10日目にはB1事件の逮捕が可能な状況にあった」という場合、A1事件勾留10日目の時点でB1事件で逮捕してしまえばA1事件から通算して勾留31日以降の身体拘束は絶対に正当化され得なくなるという事実を、強制処分の最小限度性を論じるにあたり取り込む必要がある。
勿論、B1事件で逮捕しないならそれに越したことは無いが(比例原則)、逮捕するというなら、事後的に振り返って逮捕出来る時点から身体拘束期間を通算しなければ、現に先行する身体拘束の存在故に刑訴法の潜脱というべき事態が否定しきれなくなる。
事件単位といおうと、現に身体拘束される人は同じ一人である。その一人に課せられる身体拘束の不利益を出来るだけ短くするためには、身体拘束を伴う事件を含む複数事件を同時並行的に捜査することで身体拘束期間を重複させ、通算日数で短縮させられる場合、短縮可能な期間以上の身体拘束は認めないこととするのが良い(どの時点で逮捕しようと通算での身柄拘束期間は変わらないとなれば、逮捕を誘発するなどという批判も当たるまい)。
そうすれば、冒頭で述べたような手法は、維持出来なくなるだろう。

(弁護士 金岡)