米国連邦最高裁判所判事の「身体検査」が話題になっている。
報道を総合して判断すると、カバノー候補が、「17歳の時、パーティーに同席していた15歳の女性を、酔余、寝室に連れ込み、服を脱がそうとした」行為が判事の適格性を失わせるかという議論のようだ。
彼の地では連邦最高裁判所判事の選任に当たっては厳格な承認手続を経る仕組みであり、聴聞前手続において司法委員会が場合によっては連邦捜査局から情報提供を受けたり、聴聞会でも政治宗教から前職までの実績、更に私的行状まで厳しく論われると聞く。法曹界に身を置いていても、最高裁判所判事(候補)の来歴や業績などの情報に接することは極めて困難な我が国との相違は大きい(来歴や業績などの情報に全く触れられないのだから、国民審査が全く機能しないのも当たり前である)。そして、内実が全く不透明なのに、さも「公正らしさ」があるように振る舞う我が国の判事に比べれば、厳格な承認手続で丸裸にされる連邦最高裁判所判事の方が、相対的に見て、まだしも裁判を委ねようという気になるものと感じる。
今回のカバノー候補の件は、当人が否定しているので更に深刻だが、それをさておいても、疑惑の行為が判事の適格性を失わせるとは思いがたい。少なくとも飲酒の年齢制限違反くらいはあるのだろうが、その程度の若い頃のやんちゃで判事の適格性が失われると言うことになれば、裁判官になれる人材は殆ど払底するのではないか(汝らのうち罪なき者は石もて打て、というのがぴったりくる。)。
それに、いわば無菌室で純粋培養された人物に、果たして判事の適格性があるか?というと、そちらの方が遙かに疑問なのである。警察官と揉めたりして、彼らの乱暴なところを垣間見た経験のある人物と、無菌室育ちで警察官を盲信してしまう人物と、どちらが裁判官として適格性があるかと考えれば、答えは自ずから明らかだろう。
(弁護士 金岡)