近年の刑訴法改正における被害者の関与の一つとして、いわゆる心情意見陳述がある。
その心情を情状と考慮することについてはあってしかるべきであるが、方法論としては基本的に尋問でやれば良く、どうして反対尋問権を認めない意見陳述権という建て付けにしたのか、疑問があり、賛成できない制度であるが、ともかくも、こういった建て付けにした以上は、刑事裁判の証拠法則を歪ませないよう、できるだけ制限的、抑制的に運用していく他あるまい。

さて、被害者参加人が切々と心情を訴えることについて、上記のような範囲に収まる限り、邪魔立てしようとは思わない。そういう制度があるのだから仕方がないし、立場を変えてみれば必要性を完全否定するのは不公平だろう(但し、いわゆる被害者論告と、同じ内容を立て続けに2回、聞かされることは辟易するし、均衡を失し過剰であると思う)。
他方、上記範囲にとどめるという手続監視は、やはり我々弁護人の役割なのだ。概して被告人に不利益な情報しか飛び出してこないので、刑事弁護人が遠慮して拝聴し出すと、とめどめもなく、限度を超えた情報が法廷に流れ込む。

先日も、正にそのような経験をした。
検察官も前提としている、そこそこ重要な事実Aについて、心情陳述陳述で「明らかにAではない」と主張し出す。心情どころか、評価でもなく、証拠にない陳述なので、違法である。
当然、異議を出したが、検察は「そういう主張はしないが、意見として聞けば良い」と傍観。異議を受けた裁判所は、「Aということで進んでいるので、一つその前提で」と注意をした。
更に同種の異議を2回出したが、更に、「事件直後の調書によれば・・」と、更に証拠にない指摘を始めようとするに至って4度目の異議。検察官は依然として傍観を決め込むも、裁判所は「読み飛ばすよう」指示し、完全に止まってしまった。
被害者参加人が固まってしまったので、私の方から、「小休止して参加人代理人と原稿を検討すれば」と提案し、休廷した。
が、休廷後、5度目、「裁判中に被告人が発信したツイッターの内容が・・」と言いだし、またも異議。検察官は傍観を決め込むも、裁判所が具体的内容への言及を禁じた。
なお、被害者参加人代理人弁護士は終始無言であった。

以上の経験から言うと、裁判所は煮え切らないながらも、ぎりぎり一応、規則を守ったと言える。裁判員裁判の性質上、裁判員の目が入っていたと言うこともあるかも知れない。

他方、検察官と被害者参加人の代理人弁護士とは、その肩書きを返上すべき醜態をさらしたと言える。
検察官は公益の代表者である。証拠に基づかない事実が法廷に流れ込むことは、三者一致して阻止すべきだろう。被害者に寄り添うのは良いが、法律に寄り添わないのは頂けない。なぜ、傍観を決め込むのだろうか。
被害者参加人代理人弁護士は、もし私の異議が不当と思うなら、被害者参加人を守るべく発言を求めるべきだろう。そうでないなら、弁護士として、刑訴法に適うよう、被害者参加人の陳述内容に助言すべきだろう。どちらもしないのは法曹としてどうなのか。休廷後に5度目の異議が出るような事態を阻止できなかったのは、被害者参加人代理人弁護士が、その役割を果たさなかったからに尽きるし、考えてみれば、事前に一緒に原稿を作成したのだろうから、どうしてその段階で、証拠にないことは言えないということをきちんと助言できなかったのだろうか。

被害者参加の拡大を叫ぶのは自由だが、最低限、刑訴法を守ってからにして貰いたいと思う。被害者を尊重することと、違法不当を問わず幅をきかせて良いかとは、別の問題である。闇雲に権利の拡大拡大という前に、足下を見て、法律を守ることだ。

(弁護士 金岡)