10連休法案が閣議決定された。官房長官によれば「国民こぞって祝意を表すために祝日扱いにする。連続した休暇を取ることでゆとりのある国民生活の実現を期待したい」とのことである。
「こぞって祝意」強制の問題については、かつて本欄で述べた。思想良心の自由を侵害するものである。「こぞって祝意」の外形を強制されるだけでダメだ、と、法律家として思うところである。
まあ、この国の最高権威の司法機関からして、いわゆる一連の君が代裁判で、君が代伴奏等が間接的に「しか」思想良心の自由を制約しないという頓珍漢な判断を示しているくらいだから言うだけ虚しいが(最高裁平成23年6月6日)、その後の最高裁平成24年1月16日における宮川反対意見でも「憲法学などの学説及び日本弁護士連合会等の法律家団体においては,式典において「君が代」を起立して斉唱すること及びピアノ伴奏をすることを職務命令により強制することは憲法19条等に違反するという見解が大多数を占めている」とされているように、この手の問題には努めて敏感でいるべきだ。
もう一点、これも大事なことだが、「連続した休暇を取ることでゆとりのある国民生活の実現」というけれども、平日パートで日給を稼いでいる層や残業代で収入水準を維持している層には大打撃だろう。小学生以下の子どもがいれば、託児が困難で余計大変になるという声も聞こえる。
元々ゆとりのある層は、有休を取らず休めて、ゆとりのある休暇を楽しむだろうが、そうでない層は、必ずしもそうではない。ゆとりのある層は遠慮なく有休を使って、ゆとりある休暇をどうぞ、である。
実務家法曹として思うところを付け加えると、「10連休があるので依頼者との打合せを入れづらいことから、通常1か月の準備期間のところ、1ヶ月半で御願いします」という台詞が連発されるだろうことは請け合いで、つまり仕事が停滞する。はやく勝訴判決で債権回収してくれよという依頼者の期待に応えづらくなる。刑事事件ともなると、身体拘束されている「判決まで辿り着けば執行猶予で釈放」の依頼者は「5月1日が休みになるのであと1週間、収容されておいてね」ということになり、その人権侵害は顕著である。
「こぞって祝意」強制は違憲であり、「ゆとりのある休暇」は代替手段があるし弊害もあるとなれば、この法律を慎重に審理すべきは当然だと考える。
(弁護士 金岡)