先日のとある法廷の風景。
起訴から2か月が経過するのに検察官は「詳細な立証計画が出せない。鑑定依頼中。」という。被告人は身体拘束されている。
鑑定の見通しが翌週半ばにはというので、次回期日はその更に翌週に入れて欲しいと要望すると、裁判所は「その週は予定が一杯。その次の週も裁判員。」なので、翌々々々週にするという。
都合の良い時だけ連日開廷の努力義務を持ち出すのも気が引けるが、原則は連日開廷であり、せめて、被告人に自らの言葉できちんと説明し、一言詫びるくらいあっても良いだろうという趣旨で「きちんとした理由を被告人に説明してください」と要望すると、「入らないものは入らないでしょう!」と独りごちておられる。もう一度要望するが頑なに「入らないものは入らない」と繰り返し、被告人に話しかけようともしない。
こういう人に説諭されてもなぁ・・と溜め息が出る。裁判所の都合で待たせるのは、その裁判官の責任ではなかろうが、間違っても被告人のせいではない。裁判官は連日開廷の努力義務を負うのだから、それを果たせないことの道義的責任を、自らの言葉で詫びるくらい、当たり前だと思うのだけれども。「バスが遅れたから遅刻したので詫びる必要はない!」そんなことを言う裁判官は、その時点で呆れられように。
裁判官は裁判官資格を得た途端に偉くなるわけでも、人間ができるわけでもない。寧ろ、「受験エリート」が狭い箱社会で歪んで育成されていることを揶揄されるし、それに対し真顔で「多様な事件と触れることで社会常識を涵養している」等と言い返して更に笑われるというのは言い古されていることだ。
こんなのに単独法廷を持たせるようではなぁと更に嘆息する。
(弁護士 金岡)