興味深い判決なので取り上げたい。

刑務所内の処遇に関し受刑者から訴訟を受任していた弁護士が、その事務処理のために受刑者と遣り取りをする際の信書について、どのような検閲が許されるか。
被収容者処遇法127条2項3号は、そういう「職務遂行弁護士」との信書については「これらの信書に該当することを確認するために必要な限度において行う」としている。処遇関係訴訟の自分の代理人との遣り取りが「敵方」刑務所に筒抜けであっては話にならないから当然の規定である。

さて問題は、「これらの信書に該当することを確認するために必要な限度において行う」検査は、具体的にはどこまで許されるか。
刑務所側は、「内容を読まないことには該当性が分からない」というが、そうすると内容を読まれてしまうので、わざわざ2項3号をもうけた意味がないという矛盾が生じる。

裁判所は、刑務所側の上記主張を、「(内容を読んでしまっては)現実問題として(一般の信書と)検査の内容が実質的には何も違わない」として一蹴した。
非常に分かりやすい物言いである。
このような発想自体は別に新しいものではなく、弁護人の秘密交通分野でのいわゆる髙見岡本国賠判決(大阪地裁平成12年5月25日判決)が同旨の指摘をしているが、それから20年近くが経過しても依然として違法検閲が横行している。
被収容者処遇法施行後に、3号信書との関係ではあるが、このように端的に指摘された裁判例は心強い存在と言えよう。

なお、判決文を読むと、原告である弁護士の「これは3号信書ですよ」という体裁をこらした封筒作りが参考になる。これだけ3号信書の装いをこらしてもまだ中身を見ると言う刑務所の姿勢に、裁判所は呆れたのだろうなと思う。
一体、(制度の常として不心得者が絶無ではないとしても)我々弁護士が業務上、被収容者と遣り取りをするときには、弁護士倫理を踏まえてやっており、よからぬことをすれば最悪、資格を失いかねない。そのことを踏まえれば、痛くもない腹を延々と探り続ける施設側の姿勢が実に不合理であることは当然であろう。
「これは3号信書ですよ」「これは弁護人との秘密交通ですよ」という装いをこらすやり方も、言われてみるとなるほどである。「内容を読まないことには該当性が分からない」というが、読まなくても大丈夫だという制度的その他の保障があれば良いということである。全国的に、学び、真似れば良いと思う。

(弁護士 金岡)