「まさか」と言うような出来事に日々、出くわすのが、実務家の宿命かも知れない。それにしても「下には下がいる」と思わされる。
盛岡地裁の加藤亮裁判長の訴訟指揮である。
被告人控訴の末の差し戻し審の第1回公判前に打ち合わせ期日を入れるというので、依頼者と一緒に期日に臨んだところ、開口一番(というより手続開始前から)「被告人は出て行って下さい」と、こうである。
理由は?と聞くと「訴訟指揮」。
訴訟指揮の理由は?と聞いても「訴訟指揮」。
「訴訟指揮」「訴訟指揮」「出て行って下さい」「出て行って下さい」としか言わない壊れた蓄音機さながらである(蓄音機は害を為さないだけ、話し相手として、まだ望ましい)。
相弁護人の粘り腰によれば、加藤裁判長は、「ざっくばらんに打ち合わせをする」ために「一般的に被告人の打ち合わせ期日参加を認めておらず」「例外を認めると全て認めなければいけなくなるので例外を認めない主義」とのことである。
ということは、実際には在室して差し支えない局面や寧ろ在室しなければならない局面でも、例外を認めないために追い出すということで、被告人の当事者性や防御権よりも、自身の主義や遣りやすさを優先するという、どうにも俗悪な裁判官である。
要所要所で「ここは弁護士限り」という場面が生じることは、民事家事では経験するし、無論、柔軟に対応するが、刑事事件の、しかも被告人控訴の末の差し戻し審で、端からそういう事態になることなど考えられない(因みに、現在進行形の裁判員裁判では、閉廷後の打ち合わせ期日に、身体拘束中の依頼者も皆勤賞で参加しているし、閉廷後のみならず期日間の打ち合わせ期日にも刑事施設から打ち合わせ期日のためだけに出頭してきている)。
憲法、刑訴法よりも、我を通すことに執着し、恥じるところもない・・下には下がいるなぁと思わされた。
無論、このような訴訟指揮は受け入れられない。依頼者と退室したのは当然である。加藤裁判長の「打ち合わせ期日」に応じることが危険だと分かった以上、全てを公開の法廷に晒し、厳格な手続保障を強制していくしかないからである。異常な訴訟指揮は刑訴法の制度設計すら無にする。全く以て、下には下がいる。
【追記】 ふと思い出したが、この加藤裁判長、打ち合わせ期日に「修習生を入れても良いか」と宣っていた。修習生に幅広い体験をさせたいことでは私も人後に落ちないが、被告人より優遇するというのは流石になぁ・・と、(思い起こすと)開いた口が塞がらなくなる。
(弁護士 金岡)