【導入】
埼玉を発祥の地とする「勾留準抗告全件運動」は、その後、全国の単位会の半数で模倣されるに至り、愛知でも会長の肝煎りで強力に推し進められようとしている。現在の予定では、関連会規が可決された場合、9月~11月に限って行われるようである。
私は、例え「文字通り全件ではなく、出来る限り工夫して」の趣旨であっても、苟も不服申立を「全件」やるべし等という運動には元々拒否的であり、関心を持って、愛知における動きを観察してきた。
その結果、本日弁護士会で開催された「全件運動研修会」も聴講した上で、結論としてこれは「非常に恥ずかしい」ことだと判断したので、本欄で取り上げたい。
【先行する全件運動を支える考え方について】
まず、「出来る限り工夫して」勾留準抗告を行うことを奨励すること自体は、良いことだと言える。職務基本規程47条が「弁護士は、身体の拘束を受けている被疑者及び被告人について、必要な接見の機会の確保及び身体拘束からの解放に努める。」としている以上、その実質化を奨励することは当然である。
奨励の方法論として、研修を開催したり、申立事例を収集して分析したり(その成果物は、例えば「事例99」のような実務書・研究書にも昇華するだろう)、逆に申し立てていない弁護活動に対し然るべき部署が調査を行う(弁護活動に対する介入という声も聞こえるが、弁護士会が一定の弁護水準を念頭に、落第点と思われる事例に、(押しつけではなく先ずは遠慮がちに)介入しても差し支えあるまい。弁護士法31条参照。)。
これをもうちょっと運動論的に、「原則、申し立てるべし」とするとなると、功罪相半ばすると思われる。濫用的な、もしくは粗製濫造的な申立てが量産されることが芳しくないことは当然である。他方で、「数打ちゃ当たる」ので、確実に一定数、釈放事例が増え、ひいては、成功体験を得た弁護人や裁判官の「次」や、失敗体験を経た検察官の謙抑的姿勢に繋がるかも知れない。この局面で功をとるか罪をとるかは、人に寄るのではないかと思われる(私は、罪をとる立場であるが、両論あって良い)。
【愛知の全件運動の、恥ずかしい点】
さて、では愛知方式の何が「恥ずかしい」のかというと、まずもって全国初の報酬加算方式を採用したところにある。申し立てると1万円を加算、認容されると2万円を加算するのが、全国初の報酬加算方式の中身である(1点目)。
その対象から、裁判員対象事件と私選事件は除外する、というのも頂けない(2点目)。
更に、申立て内容の調査を予定せず、ましてや申し立てなかった事案の調査も予定していないこと、この点も頂けない(3点目)。
以下、順に検討を加える。
恥ずべき最たるは、報酬加算方式である。職務基本規程47条において当然視されている弁護活動に、特別に報酬を出す、ということになると、そのうち、接見をしても上乗せを寄越せと言うことになりかねない。愛知は、準抗告は特別に手厚い弁護活動と考えておられるのでしょうか?と嗤われるだろう。
これに対する会の立場は、「20日間勾留された場合の国選報酬と、準抗告認容により早々に釈放された場合の国選報酬とを比較し、前者の方が高くなるので、差額を埋めた」趣旨であると説明する。
これもまた、正気とは言えないほど恥ずかしい論理である。「あなた方が準抗告を申し立てないのは、20日間、収容させて、依頼者の犠牲に於いてたっぷりと報酬をもらいたいからかも知れないが、そこは大丈夫だから準抗告をどうぞ」と、こういっているようなものだからである。迅速な準抗告により依頼者が釈放され、その後の接見が不要になったら、その分、弁護活動の対価が下がるのはやむを得ないところである。
なお、準抗告を申し立てても一切、評価しない国選報酬規定がおかしい、という批判は正当である。故に、一向に国選報酬規定が改善されないから、改善されるまで、弁護士会が若干なりとも正当な報酬に近づける、というのであれば、まだ分かる(個人的に調査した結果、宮崎県は、そのような仕組みがあるようだ)。逆転現象ではなく、国選報酬規定に対する明確なantithesisとして、報酬加算方式を設定したのだったら、まだ良かったのだが・・その場合、たった3か月の時限的仕組みに於いて矛盾があることになる。
結局、愛知の報酬加算方式は、逆転現象を埋めるという発想に出た恥ずべきものであり、かつ、義務の範疇に属する弁護活動を恰も特別に手厚いもののように遇する点で、とても恥ずかしいのである。
次に2点目。
発想が逆転現象を埋める点にあるなら無理からぬ仕儀だが、私選事件は対象外である。職務基本規程47条の実質化を目指すなら、私選事件を除く理由がないので、この点でも、発想に(恥ずかしい方向への)ずれがあると思う。
また、裁判員対象事件を除外するのは、恥ずかしいと言うより、醜悪に近い。「どうせ通らないのは、やらなくて良いですよ」と、当の弁護士会が言うとはどういうことなのだろうか(それ自体が、職務基本規程47条違反の教唆だと思う)。・・なお、逮捕勾留段階の「殺人未遂」は傷害罪に、「強盗致傷」は窃盗+傷害罪に、「強制わいせつ致傷」は強制わいせつ+傷害罪に、それぞれ、一定数、罪名落ちすることが知られている。ということは、蓋を開けると傷害罪だった事案について、弁護士会が「殺人未遂だから身体拘束からの解放に向けた努力は不要です」と、過剰収容を後押ししていると言われても仕方がないのである。何を考えているのかと言いたいほど、恥ずかしい。
最後に3点目。
愛知版全件運動の話が出始めた当初から、内容の如何を問わず1万円貰える、というように聞いていたので、呆れていたところ、今回、法律援助事業の枠で建て付けた関係上、明らかに不相当であれば支給しない、というように微修正されたとのことで、少し安堵していたのだが・・担当委員の説明によると、「勾留要件を箇条書きにして、当たらないと一言書くようなのはダメだと言われる可能性があるが、事案の概要を書いて、勾留要件を争う理由が書いてあれば、支給する方針」だという。「事案の概要を書いて、勾留要件を争う理由が書いてあれば」1万円。一般人でも「なんだそれ?」ではないだろうか(現に、事務員からそう言われた)。
職務基本規程47条の実質化を目指すのであれば、申立書の提出を義務付け、会が内容の審査をしてナンボだと思うが(不支給決定に対する不服申立制度も用意し、大いに議論すれば、より、実りあるものとなろう)、なんと、1万円の申請に対する申立書の提出は「ご協力下さい」の位置付けである(研修配付資料である申請書式案による)。
更に、申請がなければ申立がなかったと言うことだろうが、例えば軽微罪名で認めていて調書作成にも応じている、というような案件で、弁護人が身体拘束からの解放に向けて何もしない、というような事態を、会が把握し、改善しようとは思わないのだろうか。今回の全件運動では、そこには全く及ばないとのことである。繰り返しになるが、職務基本規程47条の実質化に向いていない、と思わざるを得ない。
以上から、会長の肝煎りだがなんだか知らないが、今回の愛知版、全件運動は、正気の沙汰ではないほどに恥ずかしいものであり、あるべき職務基本規程47条の実質化に向けられたものではなく、「よそでもやっているからやってみよう」「そうはいっても、申立件数が増えないと恥ずかしいから、札束をばらまこう」という程度のものに相違ないと評価できる。
なんとも恥ずかしい。
【8月9日 追記】
2点目、裁判員裁判対象事件の除外について、愛弁会報「ソフィア」2019年6月号20頁、中川博晴原稿に、「裁判員裁判事件は不当な身体拘束の危険性が類型的に低いと思われる」から除外すると明記されているのを確認した。論外である。
(弁護士 金岡)