事例その1。
事案の性質に鑑み弁護人から原則通りの連日的開廷を求めている事案(但し1日半あれば事足りる程度の規模)で、裁判所は「10月~11月でも毎週1回」が限界だという。(裁判員裁判ならなにがなんでも連日やるくせに、と、不快に思いつつも、)それなら12月で良いから連日でやるか、さもなくば証人の順序を工夫するよう求めると、後者については「検察官の意向が・・」と難色を示す。
優先順位がおかしい、と思う。
裁判所の都合や検察の意向が、被告人の防御権(憲法)や関連法規より優先するという発想で仕事をされる限り、理解し合えることはないだろう。
事例その2。
終盤に至っての弁護人交代に伴い、交代理由である審理の不備を早急に手当てすべく打ち合わせ期日を調整しようとすると、「8月下旬を逃すと9月下旬」という対応。そして「裁判所都合で8月下旬は無理になったので9月下旬で御願いします」と。被告人を待たせることについて、なんの抵抗感もないようだ(無罪主張の事案だが、未決算入さもなくば日額1万2500円で無罪補償すれば良いとでも思っているだろうか?裁判官は日額1万2500円ごときで収容されたいのだろうか??)。
「30分枠でありとあらゆる候補日を出すよう求める、但し、A日とB日は弁護人が出張で差し支えなので外して欲しい」と上申すると・・なんとA日、B日、C日(9月中下旬に位置する)が提案された。
ABは差し支えだという上申書に目を通してもいないのだろうか。それと共に、C日が可能ならどうして9月下旬まで待たせる肚だったのか。
分からないことだらけだが、一つだけ分かるのは、その目が被告人の収容を可能な限り軽減することには向いていないということ。
常々思うのだが、我々弁護人は被疑者被告人と身近に接するため、例えば身体拘束の辛さや、審理が遅滞する間、無為に拘束され続けることへの憤りをそれなりに濃密に感じることになるが、法壇の高みにおられる方々にとっては、勾留期間の一月延長などハンコ一つの問題で、そういった感情には考えが及ばないのだろう。
そう考えると、昔から言われているように法曹一元を必須にして、弁護士経験(刑事弁護経験)がなければ裁判官になれないようにすることには意味があるはずだ。
(弁護士 金岡)