とある裁判官の期日における発言である。
思わず「仰天」した。
文字通り天を仰ぐ。言い知れない失望感である。
問題はこうだ。
とある公務所への証拠保全(民事)で検証した対象物Aが、複製か否かが問題となった。
当方の見立てでは、Aは原則、複製でしか作り得ない性質のデータファイルである。但し例外的に特定の機材が用いられているならば、その限りではないので、「複製疑いがあるので、機材の性能を事実取り調べすべきだ」と主張した。
これに対する担当裁判官の言が、「前回期日で、職員から機材の性能について簡単に説明を受けている」とした上で、「公務員の職務執行上の発言は信用したい」であった(正確には「職務執行上の発言なので」だったかもしれない)。
手を伸ばせば白黒はっきりする証拠があるというのに、それを見ようとせず、言うことに事欠いて「公務員の職務執行上の発言は信用したい」(つまり、Aが複製であるとは限らない機材の性能だという職員の説明を前提にする)とは何事だろうか。思わず天を仰いでいた。
勿論、天を仰いでばかりでは仕事にならないので、反論した。
曰く、
・証拠も見ずに主張を信用するのは、裁判ではない。
・公務員の説明だから信用するとは何事だ。
・国賠事件の国側証人は常に信用するのか。
・「被告人と警察官証人に一番嘘が多い」という研究もある。
・最早、裁判官として適性を疑わざるを得ない・・。
裁判官の適性を疑うところまで進めて、ようやく、担当裁判官は、「そういう趣旨で発言したわけではなかった」「取り消すとして」というようなことをもごもごと言い、公務所に対し機材の性能の確認を求めることとなった。
思わず本音が出たのだろうなぁとは思う(まだお若いのに(裁かれる方が)気の毒なことだ)。
口を滑らしたため押し切れなくなったのか、忌避を恐れたのか、はたまた改心したのか、そこは分からないが、自分が如何に恥ずかしい考えに染まっていたのかを、今後、折に触れて思い出して貰えると良いのだが。「取り消す」程度には羞恥心を持てるのだから、まだ更生の余地という名の見所はあろう(従って匿名記事とした)。本当に救いがたいのは、平然と押し切ってくる輩(達)の方だ。
(弁護士 金岡)