東京高裁の破棄判決に批判が向けられているように感じる。
デイリー新潮だと「6人殺しても死刑にならない。心身に問題がある可能性があった場合には刑が軽くなる。いずれも一般庶民の感覚では理解しがたいとはいえ、判決を下した裁判長や法曹関係者にはそれなりに理解できる論理だということなのだろうか。」。
某テレビ番組では、八代英輝弁護士という現役弁護士が、「・・しかも責任能力ないって、人を殺して何の能力もない時にあるかないか問われるんですけど、この被告は、金品を盗んでいるんです。責任能力ないなら金品を盗むかと。そういうところはこの判決からはまったく説明されていない。」と発言したと報じられている。
よくもまあ恥ずかしげも無く、このような間違いを垂れ流すものだと驚かされる。
まず、心神耗弱の場合に「6人殺しても死刑にならない」のは、刑法を適用する限り、どうしてもこうなる、ということをきちんと報じるべきだろう(刑法39条2項の必要的減軽を受けた刑法68条1号)。
刑法自体がおかしいという批判は構わないが、「裁判長や法曹関係者にはそれなりに理解できる論理だということなのだろうか」として、刑法を適用せざるを得ない裁判所や刑法を前提に弁護する弁護人に対し、恰も同人らが非常識だと批判するのは現行法に反している。
一般の方は、心神耗弱の場合は死刑の適用が無い、ということを必ずしも知らないだろうから、上記のような報道を目にすると、おそらく、「裁判官や弁護人は非常識だ」「裁判員の常識を尊重すべきだ」という思いに囚われるだろう。法の不知(無知)に付け込んだ、意図的に誤解させようとする報道に見える。
次に八代弁護士の発言について。
「責任能力・・何の能力もない時にあるかないか問われる」という発言が正しいとすると、それは心神喪失の話であり、心神耗弱の判決に対する発言としては、ずれている。一般の方は、心神耗弱と心神喪失の区別などに詳しいはずも無く、法律に詳しい(と一般には思われている)弁護士がこのように賢しら気に語れば、怪しからん判決だという思いに囚われよう。よりにもよって弁護士が、心神耗弱と心神喪失をごちゃ混ぜにして判決批判するというのは、弁護士としての品位に反する、というべきだろう。
あわせて、「責任能力ないなら金品を盗むかと」という。心神喪失を念頭に置いているのか心神耗弱を念頭に置いているのかで少々話が変わってくるが、どちらにしても、精神症状下に、例えば妄想下の殺害を行ったとして、そのことと、その後に金品を盗むこととは両立する。最高裁判例でも二重見当識の考えを採用したものがあるし、二重見当識の考えを持ち出すまでも無いと言えば、無い。刑事法分野に疎い「素人」の発言としては御自由にどうぞだが、刑事法分野に疎い「弁護士」の発言としては笑って済ませられるものではない。肩書きに反した「素人」なら、潔く黙っておくべきだっただろう。
本人に責任を問えない精神症状による行為に対し、死刑を以て臨む、ということがどれほど非人道的かは、きちんと話せば理解を得られるものと確信する。常々言うように、親兄弟や配偶者がそうなった時に、それでも「病気である以上、本人の責任では無い。死刑は過酷だ。」と言わないのだろうか。
それとも、本人のせいでなかろうと、危険だから社会から排除する、というのだろうか。未だに、この国は、「実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」(呉秀三)を地で行くのだろうか。
(弁護士 金岡)