殺人罪で懲役6年の実刑に対し控訴前の保釈が認められた案件(元農水省事務次官案件)を踏まえて件名について書いた矢先に、海外への「逃亡」と報じられた案件(ゴーン氏案件)が起こったが、書く内容に変動はない。

さて、元農水省事務次官案件の報道では「異例」の文字が躍る。なるほど、そう多く見られる現象でないことは確かだが、絶無というわけでもなく(私の経験上、懲役5年6月もしくは懲役11年という案件で上訴審の保釈が認められているものがある)、そもそも保釈の位置付け、軸足をどちらに置くかと言うことを考えると、ごく普通の現象と受け止めていくべきである。
実刑判決言渡し後の保釈は裁量保釈しか認められないが、だからといって、この場合の保釈を例外的と位置付ける必要は無い(残念ながら実務的には権利保釈は例外的である)。法律は、裁量保釈は「適当」な場合に認めるとしているのであり、実刑判決言渡し後の保釈であっても全く同じである。

そもそも憲法は、正当な理由のない身体拘束を禁じている。正当な理由とは、無論、罪証隠滅や逃亡のような、裁判や刑の執行を妨げる事態を具体的に疑うことに相当の理由がある場合を言うのであり、そのような事情がないなら身体拘束を継続することはそもそも正当ではない。実刑判決言渡し後の保釈であっても、裁判や刑の執行を妨げる事態を具体的に疑うことに相当の理由がない場合は無論、多かろう(元農水省事務次官案件について言えば、飽くまで無責任な傍観者としてであるが、第1審で保釈されていないことを意外に感じたことを付け足しておこう)。
更に、裁判や刑の執行を妨げる事態を具体的に疑うだけの相当な理由があるとしても、適切な保釈条件を設定することで十分に抑止できるのであれば、やはり身体拘束の継続に正当性はない。要するに、いかなる保釈条件(註)を設定しても抑止し得ない程に高度なのかどうかが問われることになる(「いかなる保釈条件を付しても払拭できないほど高度の蓋然性を伴う弊害かどうか」を具体的に検討していない不許可理由はそれだけで落第答案である)。
加えて、釈放方向の必要性が強い場合は、適切な保釈条件を設定してもなお裁判や刑の執行を妨げる事態を具体的に疑うだけの相当な理由があるとしても、その程度も勘案した時、なお保釈が適当な場合があり得る。

憲法に軸足を置く限り、以上のような思考過程になる筈であり、以上のような思考過程になるなら、原則、保釈は適当である(その意味で、裁量保釈の条文は「不適当で無い限り」と改めるべきだろう)。懲役6年という実刑判決「程度」で保釈が「異例」という受け止め方自体が、憲法を理解しないものである。

(註)「いかなる保釈条件」を追い求めて隘路に立ち入ると、ゴーン氏案件のような人質司法の象徴とも言うべき非人道的な保釈条件(高野弁護士談)にまで至りかねない。依頼者目線では、自由は、それほどまでしてでも欲しいものであるに違いないが、弁護人の立場からは、非人道的な人質司法的保釈条件に加担することには躊躇を覚えるのも事実である。自由を奪われたゴーン氏を気持ちを度外視して言うなら、開けるべきではない箱だったのではないか、と考える。少なくとも、開けた弁護人(具体的には、無論、依頼者の意向が最優先ではあるが、例えば夫婦接触禁止条件の特別抗告まで敗れた後に、当該条件に応じて保釈を執行指揮させたこと)は、凄まじい決断を要しただろう。

(弁護士 金岡)