いわゆる「相模原障害者施設殺傷事件」の第1回公判で、被告人が退廷を命じられた、と報道されている。暴れたとも自傷行為とも報じられているが、本当のところは分からない。ただ確かなのは、退廷を命じられたことと、その後の冒頭陳述等の審理は被告人不在で進められたようだ、ということである。
このことで思い出したのは、私が15年も前、弁護士登録2年強で国選受任した、某「通り魔事件」のことである。証人尋問の時に、被告人が突如、証人に飛びかかり殴りつけるという出来事があり、当然、大騒動となった。休廷して三者協議になり、裁判長は強い剣幕で「この出来事について直ちに被告人質問をします」と述べ、私は反対できなかった。
この「通り魔事件」では責任能力が争点であり(最終的には心神耗弱が認定された)、弁護人の目には被告人の精神障害は明らかであった(検察官は詐病を主張し争っていた)から、上記の出来事は精神症状下になされたものである疑いがあり、そうとすると、被告人質問を実施させることは、防御不能の被告人を被告人質問に晒すという、今から思えば痛恨事である。当時、ほぼ同時に特別案件3件を引き受け、一流の刑事弁護人気取りであったが、今にして思えば何とも疎い判断であった。
手続保障の観点から、時間を掛けて接見し、被告人質問に応じるかは医師の意見も踏まえて精神症状の影響を脱するまで判断できない、と対応すべきだったのだ。圧倒的に経験が不足していたと言うほかなく、慚愧に堪えない。
「相模原障害者施設殺傷事件」の前記報道に接して、上記のことを思い出したのは、弁護人がどなたかは存じ上げないし、退廷を命じられた後にどのような経過を辿ったのか、例えば接見をしたのか、また、被告人を出廷させない訴訟指揮に反対したのか(医師の判断を踏まえて事態が解消するまで審理を止めるべきだと主張したのか)、分からないけれども、結果的に被告人不在のままに審理が進められたことに、類似する手続保障の欠如を見たからである。
今の私であれば、きちんと抵抗し、首を懸けてでも手続保障を全うさせる(よう努める)だろう。おそらくは国選の弁護団であるから、出頭命令&在廷命令を受ければ抵抗手段は尽きるが、それでも、法廷で異議を述べ、忌避を申し立て、都度、被告人のために論陣を張れる。必要があれば~つまるところ、被告人の手続保障よりも裁判員の待遇に阿る例の如き訴訟運営に過ぎないと喝破したならば~2時間でも3時間でも論陣を張り続ければ良いだろう。それでも計画審理が貴いというなら、真夜中になっても文句は言えないはずだ。
どのような判断、力学から手続が進んでしまったのかは分からないが、想像するに、歴史は繰り返された、のだろう。つまり、十分な弁護を提供できなかった要素が否定できないのではないか、と思われた。15年前を振り返ると批判する資格はないかも知れないが、更に歴史が繰り返されないよう、発言しておきたいと思った。
(弁護士 金岡)