本欄2019年3月6日で、岐阜地裁の判決日における被告人への所持品検査について報告した。岐阜界隈で、この問題に真摯に取り組まれている弁護士と御一緒して、またも同じ事態に遭遇したのだが、悪い方向に進化していた。
本欄2019年3月6日の案件では、被告人への所持品検査を実現するため、全傍聴人に所持品検査を実施するという悪平等を強いたものであり、名古屋地裁など、おそらく高裁所在地の地裁本庁庁舎では裁判所構内に立ち入るのに全員が所持品検査を強いられる(裁判官や検察官、弁護士などは除かれる)ことを考えると、悪平等を強いてまでやるというなら少なくとも平等ではあるわけだし、全員に強いる以上は侵害程度はおしなべて低めにはなろう。
しかし、今回の岐阜地裁(菅原暁裁判長)は、被告人にだけ、刑訴法及び裁判所法により身体検査を命じるとし、強制かと尋ねると「身体検査を受けなければ法廷に出頭させない」と説明した。
制裁により間接強制するという、行政法領域にありがちな任意処分と強制処分の間を用いて、被告人だけが特別に身体検査を強要されるという事態に異議を申し立てると、既に用意されていた棄却決定を示された。しかし、何の異議に対する決定かが明記されていない(事前予測に限界がある以上、明記できないのだろう)という、お粗末な代物であり、その紙切れだけだと証拠採用決定に対する異議に対する決定なのかなんなのか区別が付かない。この点を補正を求めるも拒否。不特定の決定は不適法だから送達受領を拒否。
そしてやむなく、「法廷に出頭させない」というなら取りあえず傍聴席まで行こうとすると、今度は「身体検査を受けなければ傍聴席に立ち入られない」という新たな命令が追加される事態に。同じく異議を申し立て、以下同文の展開となったが、渡されようとした決定は、申立「分」を除くと一言一句同じ決定で、つまりやはり何の異議に対する決定かも不明な代物であった(はじめから異議が出たら棄却しようと決めていたことは明らか)。
この問題の本質は、第一に、どのような必要性に基づき、身体検査の間接強制を受忍させることが正当化されるのかという点にあると思う。必要性を欠く侵害処分は、比例原則に反し憲法違反だ。氏素性に照らし、また事件内容、応訴態度等に照らし、粗暴的な事態が生じる具体的蓋然性が認定できない場合に、上記のような必要性が生じるとは思いがたい。
第二に、被告人だけに強いるという不可解さである。判決公判の法廷には被告人の関係者も居たから、「判決に不服で暴れるかも」というなら、傍聴人の中から被告人のために暴れる可能性がゼロでないものも選り出す必要があるが、菅原裁判長はそういうことは一切せず、ただ被告人だけに強いた。
「当局から判決公判の被告人の身体検査を励行するよう言われているからそうします」というだけのことで、肩から上は帽子の台、という奴だろう。思考停止の御仁は、裁判所には及びでないと思う。
(弁護士 金岡)