かなり以前から、勉強の一環として、ウェブ上で無料公開されている各大学機関の法学論集を読めるだけ読む、ということをしている。勉強にお金を惜しむものではないが、なにしろ気楽に読めるのが良い(時には、ウェブ上にはない巻を読みたいと大学機関に連絡してみることがあるが、快く応じて頂けることが多く有り難い)。
2~3年ごとに書きためられた論文を乱読すれば、最新の知識や、見落としていた議論を補充できようものだ。

最近、縁あって青山法務研究論集から多数、論文を読んだが、やや古い感はあるけれども、第5号の「死刑と日本の裁判員制度」(デイヴィッド・T・ジョンソン)、「刑事司法を持続可能にするのは何か?」(新倉修)あたりが読み応えがあった。

デイヴィッド論文では、幾つかの切り口から読み物風に裁判員裁判の長短が語られているが、うち、とある死刑事件では、被害者参加人など総勢9名が195分にわたり検察官論告的な陳述をし、これに対し弁護人側は2名75分でしかなかった、等と指摘されている。被害者証言以外に、参加人本人の心情意見、代理人弁護士の意見、検察の論告と、同方向で三倍の物量と化す問題は、刑事弁護人が広く問題視しているところと思うが、こういうことを分かりやすく視覚化して説明されるのは理解を得やすかろう。
新倉論文では「事件の双方の言い分を聞くということ、法の支配、人道主義に立脚」するというノルウェーの司法制度について詳しく取り上げられている。修復的司法の考え方に基づく理性的な刑罰理解、また、「刑事事件再検討委員会」による誤判対策など、いかに日本が周回遅れかが良く分かる内容であった。

(弁護士 金岡)