報道によれば、緊急事態宣言延長下の一部パチンコ店の営業再開に対し、東京都知事がこのように不快感を表明したという。
かたや政府は、「特定警戒都道府県」を含めて密集防止策を条件に博物館や美術館の開館を容認することを決めた、とも報じられている。

この2つをどう整理すれば良いのだろうか。
博物館や美術館が、密集防止策を条件に稼働して良いなら、パチンコ店も同じ扱いで良さそうなものだ。博物館や美術館では、企画次第ですし詰め状態になるが、(こちらは想像に過ぎないけれども)パチンコ店は台の間隔以上には混み合うまいから、博物館や美術館の「三密」度は勝るとも劣りはしないだろう(規制の必要性)。博物館や美術館には公的資金が支えになるが、パチンコ店は完全に私企業である(規制の相当性)。
こうしてみると、パチンコ店の方が「より稼働になじまない」とは言いようもないはずだが、結論は逆になっている。

やはり、パチンコは要らないが、博物館や美術館は必要、という価値観があるのだろう。自身、どちらを利用するかと言えば前者に需要はないが、そのような一方的な価値観を押しつけて政策を立案することは筋が違う。自分はパチンコ店に用がないとしても(美術を愛好するとしても)、パチンコ愛好家(美術に見向きもしない層)の権利をも同等に守ろうという意識が必要であり、少なくとも憲法を素直に適用する限り、そうならなければおかしいと考える。
前記都知事発言は、「娯楽ごときで国を危険に晒すのは何事か」という意識の表れであろうが、芸術で国を危険に晒すのは良いとでもいいたいのだろうか。

博物館や美術館の稼働は歓迎され、パチンコ店は店名を晒される。
合理的な理由のない差別であり、財産権ばかりか精神的自由の方面の人権侵害も感じられる出来事と思う。自分に用がない、もしくは疎んじる存在でも、同じように人権を守る必要があるという憲法的理解は遠く、未だその思想が浸透していないのに改正が叫ばれる時勢がこそ疎ましい。

(弁護士 金岡)