現在、世論沸騰中と言われている標記問題については、既に本欄本年2月24日付けにて「既に議論が出尽くしている感があるため、本欄で何か新しく加えると言うほどではない」とした上で解釈変更手続の観点から批判したところであるが、第2次安倍政権は実に執念深く、法律自体を変えてしまおうという挙に出ているところである(驚きはしないが、ただ呆れる)。
立法内容の是非についても、やはり議論は出尽くしている感がある(昨日、公表された検察OBらの意見書もよく纏まっている)。立法事実自体にまともな説明が得られていないこと、定年延長事由として白紙委任されている「内閣が定める事由」も未完成のまま立法が強行されようとしていることは、立法内容以前の手続的問題として銘記されるべきである。
立法内容自体では、三権分立破壊の一点に於いて多言を要しないだろう。
この問題を、渦中の検察官個人の評価や、現政権への嫌悪感から語ると、問題の所在が曖昧になり感情的な論争になりかねない。誰が渦中の検察官であっても、誰が政権の中枢にあろうと、という括りで一般化して論じるべきである。
時の政権が、その裁量により検事長等を続投させたりさせなかったりできる、ということは、任命時とは別に、任命後の働き如何により、続投させる・させないの評価ができるということである。当然、どのような働きが「政権の覚え愛でたいか」、が浮き彫りになるだろう。
青法協に所属する裁判官が最高裁判所に弾圧され、全国裁判官懇話会も解散に追い込まれた歴史を引くまでもなく、時間を掛けることで組織人員全般の人格を統制(歪める)することが可能であることは歴史の証明するところである。検事長等の働き如何による依怙贔屓が、時間を掛けて行われ、政権に阿る気風を醸成すると言うことは不可避に有り得ることと言わなければならない。
仮に時の政権が聖人君子で構成されているとしても、制度的保障というのは性悪説に立って語られるべきであり、悪用されかねない権力には然るべき監視がされ、枷がはめられなければならない。今回の立法(の該当部分)は、これに真逆である。小学校で習う程度の三権分立の知識があれば、これに賛成することは先ず考えられない(ということは、自民党や公明党の現議員の大半は小学校低学年並みと言うことである)。
(弁護士 金岡)